⭐️日本犬が好き! 最終回

 7話 最終話 帰ってきたナチ

「お帰りなさい、ナチ」


それから数日のあいだ、冬が急に、山からかけおりてくるように、風の寒い日がつづいた。


「かぜひかんように、気いつけや。」


夫婦は、声をかけ合って、おたがいをいたわりあっていた。太陽が山へ沈む里の日暮れは、あわただしく早い。カラスの鳴き声も、静まった。いつものように、ひっそりと夕食のおぜんに向き合っていた。

 安三郎さんと八重さんは、とつぜん、同時に、はっと顔を見合わせた。息を止めて、耳をかたむけた。暗くなっている庭先から、犬の鳴き声がきこえたのだ。そら耳ではない。あわてるあまり、松葉づえなしで歩こうとする安三郎さんを、八重さんが支えた。





二人はもつれ合って、外へ出た。星明かりの庭に、犬がいた。影絵のように。どこかの迷い犬か、とも思った。しかし、前足で空をかきながら、ウワン、とあまえて鳴いたのは、まちがいなく、ナチであった。


しかられると思っているのだろう。その場におすわりしたまま、尾をふっている。


「ナチ、おいで。」





一声で、ばねじかけのように、飛びついてきた。体をあずけてあまえるしぐさは、子どものころからのくせである。毛並みもすっかり、つやがなくなっていた。かさかさと、色あせていた。ひどくやせているのも、年令のせいだけではあるまい。





安三郎さんは、自分のひざに手をかけている。ナチの背中を抱き、八重さんは、両手で頭をはさみつけるようにして、さすっていた。夜の寒さを忘れていた。ナチは目を閉じて動かない。八重さんが、鼻をすすりながら、なみだ声で話しかけた。


「お帰りなさい、ナチ。よう、もどってきたのう。」





そういってナチを抱きかかえようとした、そのとき、安三郎さんが、いきなりナチを突きはなした。はずみで、八重さんがしりもちをついた。


「いかん、いかん。お帰りなさいではない。ここは、おまえの家ではない。ナチよ、別れるとき、あれほどいいきかせたのに。ここへは、二度ともどってきてはいかんって。」


安三郎さんのきびしい声で、ナチは、がっくりうなだれた。


「忘れたのか、ナチ。ここはもはや、おまえの帰る家ではないってことを。おまえの家は、おまえを大事に育ててくれる、清水さんちだぞ。」


おどろいた八重さんが、安三郎さんの背中を、思いっきりたたいた。


「なにも、あんた、そんなにまでいわんでも、、せっかくこうやって、やっとの思いで帰ってきたというのに。」


安三郎さんは、首を横にはげしくふった。


「清水さんが、心配しているよ、ナチ。さあ、お帰り。おまえがここへきたこと、清水さんにはいわないから。さあ、急いでお帰り。」


突きはなされたナチは、安三郎さんと八重さんを、悲しげな目で見上げていた。

「ナチ、そんな、つらそうな顔するな。近いうち、そうや、あす、あさってのうちに、おれらが田原へいくから。おまえに会いにいくから。きっとだよ。だから、心配せずに、帰りなさい。」


しばらく動かなかったナチは、やがて、お礼をするように頭を下げて、そして、星明かりの石段を、とぼとぼと、やみの中へ消えていった。




「おなかすかしとったやろに。ごはんぐらい食べさせてやりたかった。」


と、八重さんは泣きじゃくった。安三郎さんは、強い声で、自分にいいきかせた。

「ナチは、清水さんの犬だ。清水さんの、大事な犬なんだ。」


二人とも、夕食はもう、のどを通らなかった。ものもいわず、古い柱時計の振り子の音をききながら、寒い夜をすごした。ふとんに入っても、目がさえて、眠れない。せきをしたり、寝返りをしたり、おたがいの心を気づかいながら、暗い天井を見つめていた。


ときおり、雨戸をゆさぶっている。おや、山鳩の鳴き声だろうか。いやいや、山鳩は、こんな真夜中に、鳴かないはずだ。安三郎さんが、ふとんをはねて体をおこすと、八重さんも、すっくと起きて、かしこまった。


ナチが、もどってきたのでは…。そうにちがいない。ナチがもどってきて、外にいるけはいがする。しかし、二人とも動かなかった。暗やみの中で、じっと、祈るように手を合わせ、身動きもしなかった。そのまま、眠れない冬の夜が、しんしんとふけていった。


静かな戸外に、夜明けのけはいがする。雨戸のすきまから、うす明かりがさすのを待ちかねて、安三郎さんは、部屋を出た。八重さんが支える。入口の戸を、そっと開けて、外を見る。やはり…ナチがいた。


軒下のかべに背をくっつけて、ナチは、眠りこんでいた。


「やっぱり、おまえだったのか、ナチ。そんなところで、寒かったやろ。」


「さぞ、おなかもすいたやろ。」ナチは、びくとも動かない。


「ナチ、ナチっ。どうしたんや。」


すわりこんで、ナチの背中に手をかけた安三郎さんは、悲鳴をあげた。


「ナチ、おまえは、おまえは、どうして……。」


ナチは、抱き上げられても、手足は動かさず、目を開けなかった。冷たくなったナチを抱きかかえ、安三郎さんは、男泣きに泣いた。





「そうだったのか、ナチ。それでおまえは、それでおまえは、ここへもどってきたのか。」


八重さんは、その場にうつぶせて、声をあげて泣いた。


「ナチ……、お帰りなさい。」


村一面、白い霜におおわれている。冬の初めの、寒い寒い朝であった。


終わり




●あとがき

これは紀州犬の実話にもとづいた、水上美佐雄さんの知人から聞いたエピソードを本にまとめた、愛の物語です。30年ほど前に本になったものを紹介したいと思います。「帰ってきたナチ」というタイトルです。

安三郎さん夫婦はある日、紀州犬の仔犬を拾う。この仔犬は、那智、ナチと名づけられて優しい犬に育ちます。しかし、村の畑を荒らす猪への怒りから村一番の猟犬になる話です。猪狩で大怪我をした安三郎さんをナチは命がけで救いました。しかし…貧しさから別れの時がやってきて…。


この物語は水上さんが犬好きの友人から聞いた事実談をもとにして書いたそうです。友人からこの話を聞いた時、感動で胸が熱くなったそうです。僕も最初これを読み目頭が熱く涙腺が緩みましたね。時折、読み返したりもします。






ご存知のように僕も先住犬は岐阜県下呂市の山奥、飛騨谷山荘から連れてきた子たちでした。お爺さんは猟師で、安三郎さんと重なって見える。母は八重さんと重なって思い浮かびました。先住犬のおかげもあって今現在のハク君ユリちゃん。紀州犬の仔犬からとの縁があります。








紀州犬のハク君、ユリちゃん。ナチと重なるこの紀州犬の物語 とても良いエピソードでした。この感動を少しでもみなさんにお伝えしたいと思いましたので、、


犬は数千年も昔から人間と暮らし共にしてきました。猟犬として、番犬として人間の暮らしに役立ってきました。役立ってきたというより生きることの苦しみや喜びを共にしてきましたという方が正しいでしょう。ですから犬は人の心をよく知っています。人の心に敏感に反応します。野生の本能を体内深くに秘めて、主人である人間に忠実な愛を尽くそうとする犬たち。


しかし、犬には犬の心があります。これも山里の友人から聞いた話です。ある猟師さんの家で仔犬が三頭産まれました。猟師さんは形のいいやつを一頭残して、後の二頭を捨てたそうです。ところが、その翌日、残した一頭もいなくなっていたそうです。


猟師はどこを探しても見つからないので半分、諦めていた時、その仔犬が遠くの畑小屋にいると知らせてくれた人がいたそうです。まだ目も開いていない仔犬をなぜ…。犬の母親が、隠して育てていたのです。猟師さんは、両手をついて犬に謝ったという話です。


この話は僕の母が山荘であった出来事とよく似たことがあったので特に記憶しています。山で猟師のお爺さんが同じように仔犬が産まれて、不必要な犬はいらん!川に投げ捨てたのを見て、僕の母が可哀想に拾い上げ、里子を探したエピソードです。全ての人とは限らないけれど猟師さんは非道な人が多いと聞きます。いつか我にかえり改心するのです。





ものを言わぬ犬の心。ものを言わぬからこそ犬にひたむきな愛は、時には切なくも感じられます。例えば忠犬ハチ公や、盲導犬サーブのように。この物語に出てくる主人公のナチも伝説にもみなさんに愛される犬であって欲しいと思ったのです。


Facebookでは、全7話を少しずつですけど紹介させて頂きました。本の中の挿絵も記録として残しておきます。この本は青少年読書感想文全国コンクールに課題図書として推奨された本です。


最後まで読んでくれてありがとうございました。

⭐️日本犬が好き! 紀州犬の成長記録 橘浩介








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