1986年、5月2日ツールドコルスにて、追憶の意を込めて。昨日、1日のセナの追憶といい、ずっと心に残ります。これからも忘れることはないでしょう。享年29歳こんなにも早く逝ってしまった。5月2日は毎年、ヘンリーの追憶の日です。WRCはグループBランチア・チーム 若手ドライバーだった、ヘンリー・トイボネン ヘンリーの希望と夢を思うと、なんだかやるせない気持でいっぱいになります。ドライバー ヘンリーそして、コ・ドライバーのセルジオ 永遠の追憶と意を込めて、感謝を捧げます。ヘンリーありがとう!!



今から34年前になるのか。。詳細は以下抜粋して記事を書き直しました。

52日金曜日のラリー2日目、第18ステージ「コルテ-タヴェルナ」の7km地点で、トイヴォネンのランチア・デルタS4はガードレールのない、ややきつい左コーナーでコースアウトし、そのまま崖下に墜落した。その際に運転席の真下にあったアルミニウム製の燃料タンクが木々によって破裂、事故車は爆発炎上したんです。燃料タンクを保護するため装着されるスキッドプレートは、当時は主にグラベルラリーで使われるものであり、ターマックラリーのツール・ド・コルスでは装着されていなかった。



爆発は事故発生から数秒以内に起こったため、トイヴォネンとコ・ドライバーセルジオ・クレスト脱出する時間がなかったのと爆発炎上火災は激しく、ケブラー樹脂で強化したプラスチック複合材からなるデルタS4の車体は燃え尽くされ、原型をとどめなかった。トイヴォネンとクレストは両者とも座席についた状態で亡くなったのです。




事故発生時の現場に目撃者がいなかったことで、トイヴォネンの死亡事故には常に謎がつきまとうこととなった。トイヴォネンがコースアウトする瞬間はステージの先にいた観客によって撮影されていたが、その映像から事故原因を特定するのは不可能だった。事故による黒煙に気づいたレースマーシャルは1人もおらず、ステージのフィニッシュ地点では誰も事故の発生について知らなかった。




ランチア・チームは、トイヴォネンがスケジュール通りに到着しなかったことでようやく何かが起きたのではないかと恐れ始めた緊急車両が事故現場に到着する頃には、風に煽られ一層燃え上がった炎を消火する以外にできることはなくなっていた。


デルタS4は炎によってあまりに激しく損傷していたため、ランチアの技術者は残骸から事故原因の手がかりを得ることができなかった。後日、ヴァルター・ロールはトイヴォネンがインフルエンザを抑えるため薬を飲んでいたと証言したが、彼がコースアウトした真相は現在でも明らかになっていないのです。



当時の他のドライバーたちと同様に、トイヴォネンは異常にパワフルなグループBカーで限界を攻めた走りを長時間続けることへの不安を募らせていた。事故の直前には、「この危険なコースにこの車はあまりにも速すぎる」とツール・ド・コルス特有の狭く曲がりくねり、片方は山、もう片方は深い崖という危険極まりないコースとグループBカーの相性の悪さを訴えていた。


実際に、前年のツール・ド・コルスではランチア・ラリー037で参戦していたアッティリオ・ベッテガが衝突事故で死亡しているんです。


現在ツール・ド・コルスにおいてコルテ-タベルナのステージは使用されていない。そして、事故現場の近くには、トイヴォネンとクレストへ向けた小さな慰霊碑が建てられており、今なお多くのラリー関係者およびラリーファンが訪れているんだそうだ。




HENRI TOIVONEN Ending

Henri Toivonen Lancia Delta Henri Toivonen during his Martini Racing era. 
World Rally Championship record Nationality Finnish Active years 1975 – 1986 
Teams Talbot, Opel, Porsche, Lancia 

World rallies 40 
Championships 0 
Wins 3 
Podium finishes 11 
Stage wins 183 
Points 194 

First world rally 1975 1000 Lakes Rally 
First win 1980 Lombard RAC Rally 
Last win 1986 Monte Carlo Rally 
Last world rally 1986 Tour de Corse