バイクに乗っていて、以前走ったことのあるルートの中で
ふと気になっていた場所を思い出した・・・。
行ってみて初めて知ったのだが、そこは神社だった。
お寺には感じない ”何か” を感じる場所だった。
そこは大阪府・能勢町にある 『久佐々神社』 。
スマホで調べてみた。
創建は和銅六年(713)。摂津国能勢郡の延喜式内社。一座。
宿野大明神、草々明神などとよばれてきた。
『日本書紀』に、「雄略天皇十七年、土師連らに詔して
「朝夕の膳部に用いる器(かわらけ)を進上せよ」と云われ、
土師連の先祖の吾苟(あけ)が、摂津の国の久佐々村、山背国の内村、伏見村などに
私有の部曲を奉った。
これを名付けて贄の土師部と云う。」と記載があり、元々は土師部の祖神である
天穂日命を祀っていたのではと考えられている。
祭神の賀茂別雷神については、大宝元年(701)能勢郡司となった神人為奈麻呂が
賀茂氏と同祖であることから祀られたものと見られている。
境内に「一華草:セツブンソウ」と云う珍しい草花があったと云う。春になれば咲くようで、
一花発くれば天下みな春を知る」と村人の諺にあったと云う。
明治末期に近隣の多くの神社を合祀している。九頭森の九頭神社や
曾我社(十郎祐成、五郎時宗)を移転合祀しているが、別に現存しているようだ。
<久佐々神社 御由緒>
当社は和銅六年(七一三年)創建、延喜式内の能勢三社の一つの神社で
官幣小社に列せられ、昔から大宮と称し、近郷の崇敬厚く、草々明神とも云われた。
社名は古来から地名に因んで久佐々神社と称したが享保年間(一七二〇年ごろ)、
宿野大明神と改め、更に享保十八年八月、正一位久佐々神社と復称した。
地名の久佐々は「日本書紀」巻十四巻雄略天皇の条「摂津国来狭々村云々」と見え、
「続日本紀」巻六元明天皇の条「玖左佐村山川遠隔道路嶮難、由是大宝元年始建館舎、
雑務公文准一郡例云々」とあり、当社はこの館舎の地であり、
郡司によって奉斎せられたものである。
明治五年、郷社に列せられ、同四十一年五月、神饌幣帛料供進社の指定をうける。
明治四十年、大字宿野、大里、柏原、片山、平通、下田の各神社をここに合祀した。
<祭神>
賀茂別雷神
(合祀) 猿田彦命、大歳神、速素戔嗚尊、應神天皇
(参考に以下、おいら調べ)
・賀茂別雷神(カモワケイカヅチノカミ) :主に農業・産業の守護神。
・猿田彦命(サルタヒコノミコト):道の神、旅人の神。良い方向に導いてくれるという導きの神。
・大歳神(オオトシノカミ):穀物、特には稲の生育・成熟など農業神。
・速素戔嗚尊(スサノオ):暴風雨の神。勢いのままに事を行うの意とする説もある。
・應神天皇(オウジンテンノウ):武の神(弓の神)を始め、出世開運の神とされる。
しかし、掲げている ご利益としては、写真のようですね。
小規模ですけど、なかなか良い雰囲気です。
鳥居。
(灯篭に明かりがついていたとき)
大きな木も沢山ありますね。氣もあるんでしょうか。
階段を上る前の木の下に、変わった石があります。
参道。
井戸ですね~。
手水だ!
コレは知ってます。
門を入り境内へ。
拝殿。
境内の社群。
合祀の猿田彦命、大歳神、速素戔嗚尊、應神天皇の方々のものでしょうか。
コレも知ってます。
境内や、鎮守の森には大きな木が沢山ありました。
こういう場所には大きな木がありますよね~。
春日造の本殿。
屋根の横を向いている棒の本数が5本で、”奇数”なので伊勢神宮の外宮と同じですね~。
暗くなりかけとか、暗くなってからの雰囲気もスゴイですね。