またも悲しいニュース。 

 

元東洋太平洋、日本ジュニアミドル級王者 カーロス・エリオット氏が逝去。 

 

まだ63歳の訃報に何とも言えない悲しみを感じている。 

 

エリオットは三沢基地の軍人として来日。 

 

マーク堀越、後のリック吉村と共に日本でプロボクサー生活を開始。 

※フラッシュ石橋が築き上げたレールだ。 

 

当時日本の日本重量級は層が薄く、総じてスピード、技術不足。 

 

そんな中黒船来襲のごとく現れたエリオットは連戦連勝。 

 

日本には相手がいないと思われたが、真夏の大阪でまさかの逆転負けで日本王座獲得ならず(VS串木野純也) 

 

ただこの一戦は日本拳闘史に残る大激戦。 

 

その後、ペース配分を学んだエリオットは再び連勝街道を進み、日本、東洋のジュニアミドル級王座獲得。 

 

但しスパー相手もままならないトレーニングで時にガス欠が顔を覗かせる。 

 

日本王者時代、幡野光夫との防衛戦(1985年11月)は幡野の猛攻にあわや陥落一歩手前まで追い込まれた。 

 

この試合後楽園ホールリングサイドで観戦したが、自分の観戦歴の中でも思い出に残る好試合だった。 

 

ただこの後も持ち前の強打で痛烈なKOシーンを演出。 

 

当時の日本拳闘界の中でも最も派手なKOシーンを見せていた。 

 

世界戦前座含めてほぼエリオットの試合を生観戦した自分は、世界戦を待望していたが、当時は米国人ボクサーであるエリオットを挑戦させるまで機運が盛り上がらなかった(世界戦にはTV局バックアップが必須)

 

しかし唐突に発表されたエリオットの世界初挑戦は、盛りを過ぎた28歳(当時は晩年)。 

 

WBA世界ジュニアミドル級王座決定戦。敵地でジルベール・デレ(仏国)との対戦。 

 

当時はデレ映像も見たことなく、期待も有ったが7R1:48痛烈なKO負けを喫した。 

 

後日動画を観たが文字通りの完敗に衝撃を受けた。 

 

デレは防御技術に優れ、パンチも有った強い選手だったが、エリオットが全盛期ならとの思いも捨てきれなかった。 

 

エリオットはこの試合でグローブを吊るした。 

 

26勝(22KO)3敗 

 

もしエリオットが米国リング主戦だったら世界挑戦迄辿り着けなかったかもしれない。 

 

その観点では重量級不毛の地での活躍はある程度予想できた。 

 

但し間違いなく世界レベルの力はエリオットに宿っていたことは間違いない。 

 

自分は先日佐々木尽を破った野暮ったノーマンの生のパンチを観たが、自分が何度も生で観たエリオットよりパワーが有るかと言うと・・・。 

 

勿論パワーだけでなく、ボクシングは総合力。 

 

エリオットには肉体的、精神的タフネスに欠け、そこがウィークポイントだった。 

 

但し米国軍人トリオ(エリオット、マーク堀越、リック吉村)の中で素質はNO.1 

 

リックは銀でしかないが、エリオットの素質は間違いなく金。 スピード、パワーは一級品だった。

 

引退後、思わぬ形でエリオットの名が世に出た。 

 

息子さんが人気グループのパフォーマーとして成功した。 

 

端正なマスクはエリオット譲りだ。 

 

これからの彼の成功を願い続けたい。 

 

カーロス・エリオット氏のご冥福をお祈り申し上げます。