また一人偉大なる選手がこの世を去ってしまった。 

 

スコットランドが産んだ元世界ライト級王者、技巧派ケン・ブキャナン氏が77歳の生涯を終えた。 

 

70歳を超えてもジムワークを続けていた事を知っていたのでショックだ。 

ブキャナンといえばロベルト・デュランに王座を強奪された印象のみが色濃いが、ライト級史に残る屈指の技巧派だった。

 

1965年プロデビューし、5年後38戦目であのイスマエル・ラグナを大番狂わせの判定(2-1)で下し、WBA世界ライト級王座を獲得。 

※ラグナはブキャナンとの防衛戦を選んだ為、WBC王座をはく奪されていた。WBCはブキャナンには挑戦資格なしと判断していた。 

また母国はラグナへの挑戦を許可しておらず、何と罰金を取ろうとしたという。 

 

ただその後、ブキャナンは実力で外野を黙らせた。 

 

翌年ルーベン・ナバロ相手に初防衛に成功すると共にWBC王座にも就いた。 

※その後はく奪。 

 

1971年9月ラグナとのリターンマッチではストップ寸前の出血の窮地に陥ったが、競り勝ち、2度目の防衛に成功。 

 

ロベルト・デュラン相手の防衛戦を迎えた(1972年6月MSG) 

 

王者報酬は12.5万ドル(4500万円)。 

 

ブキャナンは未来の怪物相手にも余裕綽々。 

 

かけ率も13-5と王者有利。 

 

ただ試合は1R早くもダウンを奪った若きデュランがブキャナン技巧を潰すラフ戦法でリードするが、ブキャナンの左にたじろぐシーンも。 

 

後世にも物議を醸しだすシーン。 

 

13Rゴング終了後にデュランのローブローで王者が悶絶。 

 

不幸にもブキャナンは王座を失った。 

 

再起ロードを歩むブキャナンは後の世界王者ジム・ワットとの技巧派対決に勝ち国内王座を獲得。 

 

トップコンテンダーの地位まで返り咲き、挑戦者として日本のリングへ上がる。 

 

1975年2月、ガッツ石松のWBC王座へ挑んだ。 

 

11Rまではブキャナンがリードも13~15Rに石松が逆転し判定負けで王座獲得ならず。 

 

これが最後の世界戦だった。 

 

当時ブキャナンは56勝2敗。よくぞ石松は勝てたものだ。 

 

エディさんがこの勝利をいつまでも自慢していたという。 

 

国際ボクシング殿堂入りも果たしたブキャナン。 

 

スコットランド衣装に身を包み、バグパイプと共にリングイン。 

 

実に品格のある選手だった。 

 

左の使い方は正に教科書。

 

ボクシングが頭脳スポーツであるという事を証明していた。 

 

偉大なるケン・ブキャナン氏のご冥福をお祈り申し上げます。