西村賢太が亡くなった。

決して畳の上では死ねない男と思っていたが、絶息まで敬愛する藤澤淸造に寄せるとはやり過ぎだ。

 

絶望の淵の中、藤澤に出会い、偏狂的な思いを募らせた西村は自身も言うように「正気の沙汰ではない」行動に出る。

 

七尾市にある藤澤淸造の墓守を自称し、藤澤の墓の横に自身の墓を建てた。

 

墓碑文字には大枚はたいて買い集めた藤澤の生原稿から一文字一文字拝借し、自身の名を彫った。

 

俗な表現だが、「無頼派作家」を地で行く私生活。

 

漏れ伝わるエピソードはとても現代では受け入れられないもの。

 

最低で最高の命数を過ごし、文字通り天涯孤独を貫き通してしまった。

 

2月1日に亡くなった石原慎太郎氏への追悼文が絶筆となり、西村賢太は見事な※※※死を遂げた。

 

心にはいつも「いざとなれば藤澤を追い芝公園へ」

最期の転瞬彼は死を望んだのかも知れない。

 

自分は西村や藤澤の作品を受け入れるには年を取りすぎている。

 

今となっては若き日に西村賢太と出会わなくて良かったとすら思う。

 

そんな中、数冊手にした中の一冊「一私小説書きの弁」

 

高田文夫氏の解説が泣ける。

寿限無あらぬ呪限無。

 

最後に「とりあえず長生きしてくれや」

それから10年で西村賢太は逝った。

 

西村が欠かさず聞いていたという「ラジオビバリー昼ズ」は高田流の弔辞で西村賢太をおくった。

 

何人もの高田先生の弔辞は聴いてきたが、江戸っ子気質と愛に溢れた言葉。

 

大好きな高田先生に送られて西村賢太も幸せだろう。

 

西村賢太さんのご冥福をお祈り申し上げます。