1963年2月20日、リキ・ボクシングジム会長に招聘された伊集院浩氏が東中野の自宅で自死してしまう。

 

代々の侍家系に育った氏。

 

その最後の作法もそれに則ったものだった。

 

増田俊也著「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」の中では原因は、力道山の態度豹変に義憤に駆られたものと記してあったが、原因は自身の病気(胸部、腎臓、糖尿)を苦にしてという事だろう。

 

氏の遺書には結婚式を控える力道山へ式とジムの成功を願う旨が記されていたという。

 

この悲劇によりリキジム会長は、力道山秘書であった吉村義雄(元外車販売ディーラー専務)が就く。

 

これにはボクシング協会も異を唱えることはなかった。

4か月後、力道山はホテルオークラで空前絶後の結婚式を挙げる。

媒酌人は、自民党副総裁大野伴睦。

 

政財界、スポーツ界から3000名もの列席者を集め、挙式費用は1億円とも言われた。

 

新婚旅行は約1か月間かけて欧州、米国へ。

 

当然1ドル360円の時代。

 

市民には及びもつかないこの振る舞いが力道山の最後の多幸となった。