また一人伝説のファイターがあの世へ旅立ってしまった。

 

レオン・スピンクス。

彼を表す言葉は「アリを破った男」

 

五輪金メダル、兄弟、親子世界王者という冠もあるのだが、この「アリを破った男」の異名がスピンクスの全てだった。

 

1953年7月ミズーリ州セントルイス貧民街。

 

いわゆるゲットーで7人兄弟の長兄として生まれ育ったスピンクス。

 

モントリオール五輪で弟マイケルと共に金メダルを獲得。

 

意外なことにアマ時代に頭角を現していたのは、レオンの方で弟マイケルはいつも兄の後塵を拝していたらしい。

 

そして1978年2月、王様の気まぐれか?わずか8戦目でアリへ挑戦。

 

奇跡の戴冠劇を演じる。

 

再戦で仕上げてきたアリにあっさりと王座を奪還されたスピンクスだが、この63000人の観衆を集めた再戦で350万ドルと巨額の報酬を手にする。

 

ゲットー育ち。アリとの再戦前にコカイン所持で逮捕された25歳の若者。

 

当然寄ってくる輩に身ぐるみはがされていく。

 

それ以降レオンのニュースはネガティブなものばかり。

 

愚兄賢弟を地で行くスピンクス兄弟。

 

アリを破った男の名は、ラリー・ホームズ、ムハマド・カウイなどにも利され敗北を重ねていく。

 

要所に持ち前のスピィーディーな動きを見せていたのが救いだが、悲しい末路だった。

 

このスピンクスの異名は、他競技にも利用されていった。

 

1986年10月「異種格闘技戦」としてアントニオ猪木と「対戦」

 

拳闘サイドから見れば、スピンクス戦前、ミドル級ボクサーのパンチに顔を背けていた猪木の勝ちは覚束ないはずだが、本番ではしっかりと役目を演じるレオン。

 

両国国技館の現場にいた自分は、非常な悲しみを覚えた。

 

その後もあろうことか大仁田厚のFMWで金網デスマッチまで駆り出されるレオン。

 

1995年、アリ初戦以降、19勝(9KO)17敗1分けとなったボクサー生活を終えた。

 

後年、息子コーリーが世界王座二階級制覇などという僥倖も有ったが、離婚、破産と不遇な時を過ごしたレオン。

 

永年の闘病の末、天に召された。

 

1978年2月王様は224Lbという鎧をつけてリングに上がり、一人のシンデレラを誕生させ、7か月後自らの手で魔法を解いた。

 

キングアリの気まぐれに奔走されたレオン・スピンクス。

彼の人生が幸せであり、アリ戦に勝つことが正しかったのだと信じたい。

 

レオン・スピンクス氏のご冥福をお祈り申し上げます。