思い出の名勝負
1972年6月20日 日大講堂WBA世界フライ級タイトルマッチ
大場政夫VSオーランド・アモレス(パナマ)
1R、大場はいきなりワンツーを放つスタート。
ただアモレスも速攻型。頭と共に鋭い右を振るってくる。
開始30秒も立っていなかった、アモレスの左フックで大場がダウン。
足が揃っていた感はあるが、大場のアゴにクリーンヒット。
当然アモレスは攻め入るが、大場もパンチを返す気の強さを見せる。
アモレスがボディー攻めの際にバッティングで大場の頭から出血。
波乱のラウンド。
10-9アモレス(10点法現代の採点基準で)
2R、大場やや足を使い左回り。これに対しアモレスもスナッピーで速いジャブとストレートで応じる。
そしてまたも頭を持って来るラフ攻撃。
ここで大場左ジャブを使いアモレスをロープへ追いやる。
客席の少年(外国人)ナイスアドバイス!
この左で照準が合ったのか、大場の右が精度を高める。
予断は許さないが、ワイルドなアモレスに対し、インサイドからの攻めと流れも良くなる。
そして2分過ぎに大場がワンツーでアモレスからダウンを奪い返す(身長差も相俟って良い角度)。
再開後、攻め入る大場だがまたもバッティング。
この小休止も結果的に良かったかも?アモレスのパワーはまだ生きている。
10-8大場
3R、ダメージを感じさせずにアモレスはゴムマリの様にサークリング。
ただこれで更に大場の左ジャブを誘発してしまう。
大場はアモレスの突進をステップバッグで躱す。
但し基本は強気の打ち返し&迎え打ち。
アモレスのワイドアクション故のバランスの悪さを巧く突けるようになる大場。
ロープに詰めての攻撃が出た。要所で反則すれすれの攻めも見せる。
この気の強さが大場だ。
また目立たないが左アッパーも出た。このパンチも打てるのか。
このラウンドアモレス、バッティングで減点1
10-8大場(アモレス減点)
4R、開始から30秒余りは手負いのアモレスが猛然と攻めて来たが、大場はワンツーを返しアモレスをロープへ飛ばす。
また的の小さいアモレスのボディーへ左フックも叩き込んでいる。
またこのパンチは当時の日本では夜明け前??
しかしアモレスもアグレッシブ。パナマでは異質のセオリー無視攻撃で大場に肉薄。
大場も負けずにラフパンチで応じるが、終了前はストレート攻撃へリセット。
10-9大場
5R、大場ミドルレンジでの応酬では技術的に上回る。
変則なアモレスをよく見ている。
中盤、大場がワンツーでロープへ飛ばし、更に右をヒット。
明らかに疲労しているアモレスへ一旦リセットしてから力を総動員するラッシュを敢行。
崩れ落ちるアモレス。
カウントアウト寸前に立ち上がったアモレスに吉田勇作は10カウント(5R2:00)。
大場が逆転KOで4度目の防衛に成功。
1971年6月米国での大逆転勝ちで芽吹いていた「キラー大場」がこの試合で覚醒した。
アモレスは間違いなく最強の挑戦者。
大場へ挑戦した時はキャリア1敗のみのトップコンテンダー。
大場に敗れた後も、バンタム級でサラテ挑戦まで辿り着いた。
技巧派が多いパナマでは異質な超攻撃型。キャリア後半は黒星が多かったが、これはサラテに壊されたという事か。
ケレン味の無い好ファイトの持ち主だった。
通算戦績:36勝(24KO)9敗
ところで客席で「Oba jab~」と連呼していた外国人少年は一体どこの誰なのだろう。
元気で今もボクシングファンなら嬉しいな。