先日記したベストファイト。その中から数試合記してみる。
1986年7月24日両国国技館
WBC世界ジュニアウェルター級タイトルマッチ
浜田剛史VSレネ・アルレドンド
1986年3月、4年間世界王座に有った渡辺二郎が陥落し、世界王者不在、冬の時代の予感漂う拳闘界。
浜田への期待は今では考えられない程高く、浜田を追い続けた日本テレビは、正に理想的なプロモーション&サポート。
待望の世界初挑戦。
自分もこの試合を前にRING JAPANからレネのビデオを取り寄せ「研究」に余念がなかった(笑)。
それだけでは飽き足らず、レネ来日後の公開スパーも有る人物の招きにより見学。
確かにレネの仕上がりは悪くなく、現場の記者からも「これは勝てない・・・」の論調も多かった。
但し自分は以下の観点より、ある媒体に「浜田の1RKO奪取」の予想を記した。
レネが連れて来たパートナーは、浜田とは似ても似つかぬ二線級の黒人選手。
レネはリングシューズではなく、何とコンバースハイカットで公開スパー。
自信と慢心は紙一重。
レネは37勝(35KO)2敗と高いKO率を誇るが、レベルの低い相手との対戦も少なくなく、強打を誇るロドルフォ・ガト・ゴンサレスには、打たれ脆さを突かれている。
スロースターターの気も感じられ、スピード不足も相俟って浜田の速攻がモノを言う。
以下はビデオ見返しと当時観客席で感じた事を。
「HERO」で浜田が登場。
あの純白シーサーのガウンのカッコ良さったらなかった。
現在のスポンサーロゴに塗れたガウンやトランクスとは大違いだ。
リングインにたっぷりと時間を取り、登場後、四方へ礼をする浜田を思い出す。正に琉球のサムライ。
とにかく会場の雰囲気は「頼むぞ!浜田」一色。
マイアミ・サウンド・マシーン「コンガ」で登場したレネにメキシコ応援団から声援が飛ぶ。
このドメジャー曲とのミスマッチに少し緊張感がほぐれるが、国歌斉唱中も緊張感マックスの会場。
試合前、椅子に据わり静態するレネに対し、常に動いている浜田。
隣の方へ「これ行くよね・・・」
コールは名リングアナウンサー、故・酒井忠康さん。
最高の名調子!
さて試合、
開始後、いきなりの左ストレートを叩き込む浜田。
その後もバチバチの攻撃も「浜田硬いな~」の印象。
例のアルレドンド左フックカウンターでロープへ飛んだシーンは、会場では逸る浜田がバランスを崩しただけに見えた。
今振り返ると実に危ないシーンだった。
ただアルレドンドも調子は良くなく映る。繰り出すパンチにスピードなく、バランスも悪い。
当時浜田も競技リタイアの原因となった膝が悪かっただろうが、重心を落としたままレネに肉薄。
またも左フックをミートされながらも、ロープへ詰めショートの強打を振るう。
その時レネは苦痛の声を上げていたらしい。
ただ観客席自分は、浜田も力んでスピードなく、歯がゆさを感じていた。
「レネが調子出ない内に攻め落としたいのに・・・」
このラウンドは抑えたと思った後に、あの衝撃のシーンが訪れる。
青コーナー近くのロープにレネを詰めた浜田は、一瞬離れ際に右フックをヒット。
アルレドンドの腰がおちる。湧く会場。
そしてあの左ストレートからの右フック。
(ビデオを見ると左ストレートがKOパンチなのだが、現場では最後の右フックが印象に残った)
今でも鮮明に覚えている。
こんなパンチ食らって立てるわけない。
会場の皆の一致した思いだ。カウント中からお祭り騒ぎの客席。
座布団の乱舞。
見知らぬ観客と歓喜の抱擁。
これ程、衝撃を感じた奪取シーンを今後体験できることはないだろう。
文字通りこの1試合に身も心も完全燃焼した浜田。この鋭い踏み込みは二度と返ってこなかった。
浜田剛史まさに一世一代の戴冠劇!