私が拙ブログを始めて早6年。

 

一番書かねばと思っていた事を記します。

 

私が後楽園ホールでボクシング観戦を始めた1980年代初頭。

 

いわゆる前座の時間帯に出場する一人のボクサーが居ました。

 

名前をA選手とさせて頂きます。

 

この軽量級ボクサーは、正直体格にも恵まれない短躯なフレーム。

 

ただ非常に努力したのでしょう、立派な筋肉質の身体でした。

 

しかし繰り出すパンチは、哀しいかなパワーレス。相手に脅威を与えるブローとは程遠いものでした。

 

そしてA選手には決定的な弱点が有りました。

 

とにかくアゴが当たれ脆く、相手パンチを食らい、一発でKO負けをする事が実に多かったのです。

 

その倒れ方も尋常ではなく、頭からキャンバスに落下するような危険なものでした。

 

1回ならともかく2回も目の当たりで見せられた私は、A選手の試合を見るのが怖くなりました。

 

何故かA選手の対戦相手は、当時「ホープ」と称された選手が続いていました。

 

A選手には大変申し訳ない表現になりますが、いわゆる「かませ犬」です。

 

ある大手ジムのホープと対戦したA選手は、相手パンチを浴び、頭から・・・。

 

この派手な倒れ方は、何と深夜のボクシング番組のオープニングに使われていました。

 

画像には処理を施していたのですが、A選手はどんな想いでこの番組を見ていたことでしょうか・・・。

 

売り出し中のホープに打たれ脆い格下のA選手をぶつける。

 

悪魔のようなジムとプロモーター、マッチメーカーがいたものです。 

 

またあるホープ(米国修行と称し、遊び惚けていたふざけた奴)は、A選手を倒した後、振り返りもせず勝利を鼓舞していました。

 

この選手は、本場の強打と技術に粉砕され、消えていきました(敗戦後、別人のように縮こまったスタイルになったチキンボクサーでした)

 

A選手の試合を怖がりながら見ていた私。

 

ある試合で判定まで持ちこんだことが有りましたが、それでも途中、リングから落ちそうな危険なシーンも有り、観戦していた私は、隣の方と

「早く止めろ!」と叫んでいました。

 

今思えば、JBCに電話するなりすれば良かったと思いますが、私は何も行動していませんでした。

 

A選手は12勝(12KO11分けという強打者にKO負けを喫した後、わずか3か月後、東北出身の選手(アマ出身の格上選手)に呼ばれて、秋田での試合へ挑んでいきます。

 

このマッチメイクした人間も悪魔です。

 

「地元」ファンに派手なKOシーンを見せたかったのでしょう。唾棄すべき俗悪な考えです。

 

この試合を許可し、A選手へ引退勧告をしなかったJBCも断罪されるべきです。

 

普段リングサイドで小姑の様にうるさかったインスペクター(Mの爺さん)なんか、何を見ていたのでしょう。

 

東北での試合を終えた、A選手の記事が専門誌に載りました。

 

アパートで一人暮らし。小柳ルミ子のファンだったとか・・・。

 

何か書いていて涙が出てきます・・・。

 

コーナーに座るA選手の写真は、実に神々しい物でした。

 

私は今でも自身のコーナーへ戻る際に独特の呼吸法で、自らを鼓舞し、歩いていくA選手の姿、息遣いを鮮明に覚えております。

 

格上の相手に跳ね返されながら、懸命に向かっていく姿を忘れる事は出来ません。

 

A選手。貴方はいつも強敵から逃げず、勇敢にリング上がり、実に正々堂々と戦っていました。

 

この素晴らしい勇気は、タイトルを獲得した選手達と何ら変わるものでは有りませんでした。

 

当時の関係者全てが分かっているでしょうが、これは100%人災です。

 

見えないヘッドギヤを付けさせ、この競技を未来永劫存続させることが出来るのは、我々ファンの声と行動です。