何とも悲しく驚いた。元日本二階級王者穂積秀一さんが亡くなっていたとの事。
氏の存在を知ったのは、1980年8月、後に世界王者となる友利正から日本Jフライ級タイトルを奪取した時。
微妙な判定だったので、友利応援団から投げ込まれたパンフレットを足蹴にする穂積氏。華奢な身体だが向こうっ気の強さを感じたシーンだった。
ただ当時の私の穂積氏に対する想いはどちらかといえばヒール。
私が過去を通じて一番思い入れのある日本人ボクサーが玉城和昌だったので、玉城が見事な内容で穂積氏を下した試合は本当に嬉しく、今でも時折思い出す。
また穂積氏がある選手をコーナーに詰めた際に、レナードの様なアクションで挑発したことが有ったが、後楽園の2Fバルコニーから「ふざけんな!○○野郎!」と叫んでしまった事もある。
ただあの寒~い内容のサントス・ラシアル戦後、強豪相手と連戦を重ね、見事イラリオ・サパタ戦へつなげた氏のキャリアは称賛に値する。
(アマエリート石井幸喜、才能のあった風来ゆうと、伝説のジャッカル丸山、一発屋打越芳幸、天才パンチャー竹下鉄美、同系のアウトボクサー榊原隆史ら相手に勝ち抜いた)
そして氏最後の世界挑戦となったイラリオ・サパタ戦(1986年4月)
サパタも全盛を過ぎてはいたが、判定で完敗。
韓国での最後の試合を終えてボクシングキャリアを終えた。
その後、残念なニュースが報じられた後、氏のことは今回の訃報まで一切分からなかった。
世界王者時代の渡辺二郎とのスパーで、スピードで翻弄したことも有ったという穂積氏。
プライドの高い渡辺は寝床で穂積氏対策を考え続けたとか。
また渡辺二郎のテクニックをTVで語る穂積氏を見たことが有るが、高度過ぎてインタビュアーの人が??マークになっていた。
引退後リングジャパンでの会報でもなかなかマニアックな文章を披露していた。
世界王座に就くには、フィジカル、パワーに欠けていた(右がチョップ気味)ことは否めないが、スピードを活かしたアウトボクシングは、俊逸。
指導者として後輩に継承して欲しかった。
穂積秀一さんのご冥福をお祈り申し上げます。
