今日は久々に人とご飯を一緒に食べた。
その人はこれまでも何度かあった事があって、挨拶くらいはかわす間柄。
今日はひょんな事から昼ご飯を一緒に食べる事になった。
そうしたら発覚したのだ。
トンでもない事実が発覚した。
彼はインド人なのに韓国の仏教をインドで勉強していると言う事だ。
なかなか興味深い。
それで話を聞いてみると、彼はヒンドゥー教だったのだが韓国のお寺で住む事により開眼したそうだ。
今は韓国語を勉強し,韓国にも留学し、今も大学で韓国の仏教を勉強している。
ここで,導き出される事。
この彼は裕福な家庭の子供だという事だ。
そんな彼と来たのが、ツーリスト専用のレストラン。
何を食べるか楽しみだ。
そして,彼がメニューも見ないで注文したのはオムライスだった。
「オムライスが好きなの?」
「大好きです」
そう言えば父親から聞いた事がある。
「子供の頃のごちそうはオムライスとカレーライスだった」
そうなのだ、ここはカレーが生まれた街。
ヨローピアンの文化が入り始めたこの町ではカレーライスではなくオムライスがごちそうなのだ。
後から友達が一人やって来て(この人はタブラーの先生)一つのオムライスを二人で一緒にうれしそうに食べていた。
韓国仏教を勉強するインド人は直ぐに自分の教授に電話をして明日の夜ご飯の段取りをした。
もちろん自分と彼と韓国人の教授の三人で夜ご飯を食べる。
うーん。何故かインド人がインドで韓国の仏教を習うというカオスに少しずつ巻き込まれているのではないだろうかと不安になる。
そして今、日記を書いている横に、行きたくてもビザが一日一万円もするので行けない国のブータンの男が座り。自分と夜ご飯を食べるために待っている。
ここはインド。ブータンの人間なんてシッキム(インドとブータンの国境の街)でしか合えないと思っていたのに何故かあってしまった。
うーん今日は不思議な事がよく起こるものだ。
今日の夜ご飯の模様は明日の日記で


今日は朝起きて洗濯をして、何時もの通りガンジス川でチャイを飲み。
少し惚けてから、散歩もかねて蜂蜜を買いにいった。
その蜂蜜はアーモンドの花の蜜だけで作ったものでクリームのように色の白い蜂蜜だ。
香ばしくてとても旨い。
バラナシから300キロほど離れた村で作られている。
昔この町のシタール奏者の弟子として生活していた時にカッタクダンスをしている友達に教えてもらったのがその白い蜂蜜だ。
とにかく久しぶりに味わいたいのと日本に送る約束をしたので買いにいった。
記憶を辿り何とか蜂蜜屋さんについて「白い蜂蜜がここで売っていた記憶があるのだが,売っているか?」
と聞いてみた。
「ごめんなさい。今は無いんだ。季節が違う。もう一ヶ月後には入荷すると思うんだがそれも何時と確かな事は言えないんだ」
そう言う事かと納得した。
日本の生活では季節感が薄いのだ。季節外れの果物が並び冷凍された魚が季節関係なく売られているスーパー。
でもこの町は停電が多いので冷蔵庫がある家は裕福な家庭。
出来たものは出来立てを食べる。
母親達は夕方になると鮮度が落ちると毎朝はやく市場へ買いに行く。
この町では、鮮度は時間とともに落ちていく。
従って売っているものも季節のものなのだ。
残念だが納得して「一ヶ月後に買いに来てみるよ」と季節を売るお店を後にした。
このお店まで、まっすぐ歩けば30分、迷いながら歩いた自分は2時間かかった。
さすがに帰りはボートに揺られ帰ることにして川まで歩く。
帰り道、季節とともに生活をしている今の自分に満足しながらガンジス川を下った。


自分はとにかく,ここインドでの旅で聖地に長く滞在するくせがある。
これは旅の目的のタイムスリップに関係している。
聖地というのは昔から生活が変わらない。
それは外の文化が入ってきにくいと言う事だ。
文化とは時間と生活習慣で出来ている。
この町はこの町が聖地になってから時間が止まっているのだと感じる。
日々同じ事の繰り返しをゆっくりと続けている。
チャイ(ヤギの乳のミルクティー)屋の親父は毎日同じ場所で一日チャイを作っている。
洗濯屋も同じように選択をしている。
ボート屋は河を何度も往復する。
自分は朝起きてガンジス川を眺めチャイを飲みチェスを打ち。
腹が減って朝ご飯を食べ散歩をする。
日が暮れてくるとガンジス川に行って夕日を眺める。
その中に少しずつその日の用事が付け加えるだけで一日の事が終わる。
日本でこんな生活をしているとそわそわしてくる。
でもこの町ではそれで良いと思う。
そう思う理由は回りを見てみると分かる。
その風景は昨日の風景。
その前の日と同じ風景。
見ている風景が何年経とうと変わらない。
毎日変わらない、なにも退屈しない退屈な毎日がここにはある。
その中にいると何も変わらなくてもいいやと思えてくる。
巡礼者達はこの聖地を後にして自分の生活に戻っていく。
毎日変わらない退屈が生活なのだと再確認して帰っていく。

変わる事のない繰り返しが聖地での生活。
ずっと変わらない生活に触れたときにタイムスリップするのだと、今日も変わらずガンジス川を眺めチャイを飲みながら思った。






長い間、撮影をしていたため日記をアップできなかった。
何をしていたかというとバラナシで一番の遊び人と一緒になって遊んでいました。
自称遊び人のつもりだった自分ですがまだまだ遊びが足りないと気付かされた約一週間。
朝7時には目覚め、ガンジス川を眺めながらスティーブというフランス人とインド人の友達とチェス。
継は友達がボートレースに出場のため,前の日に予約しておいたモーターボトに乗り込む。
ボートレースのボートは速いため普通のボートでは追いつけないと言われモーターボートを借りたのだが、結局友達やらその友達やらが乗って来て最終的には20人以上の大応援団になる。
ボートレースが始まった。
ボートは四人のかけ声とともにどんどんスピードを上げていく。
自分のモーターボートは人が乗り過ぎてスピードが出ず。
レースボートはどんどん小さくなっていった。
せっかく高いお金を払ったのに撮影失敗。
まあ、でも応援団のかけ声は楽しくまあ仕様がないと納得。
ボートレースが終了したと思ったら今度は凧揚げ大会に行くためにまたボートに乗る。
ガンジス河の対岸にいく。
太陽を遮るものが何一つない砂漠のような場所でひたすら凧揚げ大会を撮影するが凧は遥か彼方。
肉眼でも望遠レンズでも結局とらえきれない。
インド人の目の良さに驚く。
夜は勝っても負けてもボートの上で優雅に酒を飲み。
倒れるように寝る。
寝る時間が早いので起きるのも早い。
また同じように朝起きてチェスを打つ。
ボートレースが始まる。
凧揚げ大会はトーナメント戦。
終わる事なく続いた。
毎日同じ事の繰り返し。
それが今日まで続いた。
今日は来た時からずっと欲しかった旨い蜂蜜をボートで買うためにボートに乗って買い物でもしようと思っている。

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てなわけで
よろしくです

今日は練習がなかったので、カメラのメンテナンス道具を探しついでに散歩をする事にした。
バラナシのベンガリートラ(ベンガリーとはバングラディシュ人の事。この付近はベンガル人が多い)から抜け出した。
何時も通っていたラッシー屋でサフラン入りのラッシーを飲みながらぶらぶら歩いた。
ふと立ち寄るお店で再会する子供達が成長していたりでなにも変わらないと思っていたのは自分なのだと気付く。
旅の中で幾つか大切にしている事がある。
その一つがタイムスリップを味わうという事。
本当にタイムスリップするのではなくて時が止まっている場所を探す。
このバラナシはその一つだ。
テレビが普及したり在る程度の情報や格好は少しずつヨーロッパ化しているがまだまだ昔の生活が色濃く残っている。
だけど町は時を止めていても人は動いている事に気付く。
一緒に遊んでいた子供がどうなっているのか聞いたらこんな答えが返って来た「昔のあの子とはもう違う、今は立派な不良になっているから、気を付けた方がいい」それは楽しみだと探してみたけど見つからなかった。
後でその子供を小間使いの用に使っていた元マフィアに聞いてみたら「分かった。見つけたらひっ構えて連れてくるよ」と約束をしてくれた。
あの可愛かった子供がどんな不良になっているのか楽しみでしょうがない。
また,バラナシを離れにくくなってしまった。


今日は渡し船の友達と夜の8時に待ち合わせをして、ボートのトレーニングに同行する。
15分程度歩いてバーンガート(火葬場)に向かう。
バーンガートでは夜なのに炎がいたる所で焚かれ夜の空を赤く染める。
自分は友達一人でボートを漕ぐのかと思っていのだがそれは間違いだった。
チーム編成は一つのオールに一人計名に先導役の御爺が一人の5人。
本格的だ。
船は岸を離れたら直ぐかけ声とともにスピードを上げる。
先導の御爺も興奮する。
四人は声を掛けリズムをあわせてボートに力を伝える。
橋の下を抜け帰ってくるまで30分。
一時も休む事なく。リズム崩れる事なくこぎ続ける四人。
声を掛け続ける御爺。
岸に着く頃にはただカメラをまわしていた自分まで疲れを感じた。

このボートのナンバーは1。
だが去年は負けてしまったらしいのだ。
それで友達に声がかかった。
今年こそは負けられない。
皆の気持ちが声になる。
試合まであと3日。
今日から毎日練習に付き合う事になった。
自分の役目としてはトレーニングが終わった後にミルクのお菓子を買ってくる事。
それだけだ。


昨日と今日の朝はずっと撮影していた。
そして大きなプージャも終わり。
さてさて本当にやる事は無くなった。
さて移動でもするかと思っていたら,29日に船渡しをしている友達がバラナシのボートレース(ボートと言っても小舟、手漕ぎ)に始めてでるため猛特訓と聞き。
その応援をする事にした。
とりあえず29日まではいる事にしたら、11月2日に祭りがある事を知る。
本当にこの町は、いると離れにくくなる町だ。
後から後から祭りがやってくる。
11月2日までいると次ぎの祭りが来る。
そうしてだらだらと滞在が延びてしまうのだ。
しかもすでに知っている大好きな祭りが来る。
11月はカイト(凧)祭りがある。
それはそれは楽しい凧だらけの空を見る事ができる。
空中に凧が上がる。凧と凧が糸にガラスを仕込み闘う。
大会はスリーマンセルで参加。皆がそれぞれ参加費を払い。
最後まで生き残ったチームがそのお金を統取り。
魅力的な大会なのだ。
どうするかは29日が終わってから考える事にした。

バラナシに着いた。
時間は朝の6時過ぎ、電車を降りて階段を上ると太陽が昇っていた。
いい思い出ばかりではないけれど、自然と笑顔がこぼれる。
直ぐに力車に乗ってガンジス川を目指す。
懐かしい風景を見て気分が良くなって力車男にチップを弾むつもりだったが財布に残ったお金は40ルピーちょうど、全財産だと言って財布をひっくり返して払う。
銀行にはお金は多少あるのだけれどこれで本当に一文無しになった。
後で降ろしにいけばいい。
まずはガンジス川に挨拶。
ガンジス川に着くとすぐに声をかけられる。
「久しぶり」
見ると前はもっと小さかったはずの男の子が大きくなっていてびっくりするとともに自分の成長してなさに落ち込む。
今回のバラナシの目的は、グルジー(シタールの師匠)に挨拶する事と前に置いて来た荷物でパキスタンを抜けるための準備する事、それと山ジイや友達に会うのが目的だ。
グルジーと荷物はナグワ地区でとても遠いので後回し。
まずは手っ取り早く友達がバラナシに来ているのかを調査する。
調査の結果。
分からない。
昔の記憶を辿り。知ってそうなバラナシ人に聞き込むがいう事がてんでバラバラ。
山ジイがいると聞いて部屋をノックしたら違う人がでるしまつ。
友達のバブーはアルコール中毒で死んでいるしでほとほと困り果てた。
そして出した答えがまだ皆来ていない。
ならばどうする?
直ぐにプリーに向かうか少しここで待つか?
と悩んでいたら今日がプージャ(インドの儀式)だと聞き。
昔なじみのホテルにじゃあと今日の宿泊を決めた。