仏教の密教系で用いられる法具である独鈷杵(とっこしょ)について考察してみたいと思います。

 

独鈷杵は一般に「独鈷」と呼ばれ、両端が一本の刃になった金剛杵(こんごうしょ)です。「煩悩を打ち砕く刀の象徴」「煩悩を打ち払う菩提心のシンボル」などといわれています。

 

金剛杵は、もともとインドの神々が持つ武器です。ブータン王国の国章には、一対の雷龍、蓮の花、中央には十字に組み合わされた金剛杵と宝珠が描かれています。

 

「金剛」とは非常に堅く壊れないもの、「杵」とは餅つきや脱穀などに使われるきねのことです。ところが独鈷は両端が尖って刃のようになっていますので、この「杵」という名称はふさわしくないように感じています。

 

古代インドではダイヤモンドが採れました。まだ加工することができなかった時代です。だとすれば、この「金剛」はダイヤモンドを表現している可能性があります。加工できないダイヤモンドの塊を、金剛杵と表現したのかもしれません。

 

この独鈷は、密教では「九字」を切る際に使われる法具です。魔除け、邪気払い、身を守ること、あるいは密教の中心軸・霊的中心・結界の象徴として機能していると捉えられています。

 

 

独鈷の握り(把・え)の中心部分には、円形、杏仁形、縦長の形が表現されていて、これらは時代によって移り変わります。この部分を「鬼目(きもく)」と呼びます。鬼の目ということですね。

どうして鬼目と名付けられたのでしょうか。「鬼」という名は、鬼瓦と同じく魔除けや邪気を払う目的の感覚で付けられたと思われます。

 

 

そして「目」は、私はトーラス構造の中心、法輪の中心、八咫鏡の構造の中心にある「目」を表していると思います。トーラス、法輪、八咫鏡はいずれもトーラス構造を表現している、と私は考えています。

 

 

 

この目は、再生、復活、変容にとって重要な部分です。この目を独鈷に表現することで、トーラスエネルギー(神の力)を独鈷に注入します。手の握りは回転、渦を表現していますから、このトーラスエネルギー(神の力)の循環を表していると捉えています。