古代の東北地方や北海道に住んでいた人々を指す「蝦夷(えみし)」という語は、実際の姿を直接記録した史料が限られているため、後世の人々の間では「文化の遅れた狩猟採集民」「毛深い人々」といったイメージが語られることがあります。しかし、これらは当時の中央側の視点に基づく表象であり、必ずしも実態を正確に反映したものではありません。
「蝦夷」という語は、古代中国で東方の異民族を指す夷、北方の異民族を指す狄という観念を背景に持ち、文明の及ばない地域の人々を指す語として日本に受容されました。文献には蝦夷を「毛人」と記す例もあり、毛深いというイメージが付与されていたことがうかがえます。また、蝦夷は非常に屈強で、百人がかりでも倒せないという噂があったとも伝えられています。
「蝦」の字は海老を表し、海老の長い髭や丸まった姿勢から、蝦夷の体形や姿勢を象徴的に表した可能性があります。狩猟や力仕事を日常とする生活環境を考えれば、前屈気味の姿勢や筋力の発達は自然なことでしょう。
「夷」の字は「一+弓+人」に分解でき、弓を扱う一番すぐれた人とも解釈することができます。狩猟を基盤とした蝦夷の生活を考えれば、弓矢の技術が大和側よりとても優れていたとする伝承も理解できます。弓は蝦夷の方が短い弓を使っていました。さらに、馬の導入以降は騎射の技術も発達し、後の大規模な前九年合戦・後三年合戦では朝廷軍にとって大きな脅威となりました。
これらの戦いはかつて「前九年役」「後三年役」と表記され、「役」は異民族との戦いを意味する語でした。しかし現在では、蝦夷を一律に異民族とみなす理解は誤りとされ、「合戦」と表記されるようになっています。


