私は諏訪大社の御柱は古代において「舟」を象徴していたと考えています。上社の目処梃子を付けた御柱は棟木(たるき)・垂木(むなぎ)・束(つか)に相当する舟形の構造を示し、下社の一本柱の御柱は梁(はり)に相当する舟として理解できます。この二つの形式は、古代エジプトの太陽の船であるマンジェト(昼の船)とメセケテト(夜の船)とも響き合い、古代世界に共通する「舟=宇宙を運ぶ器」という象徴体系を共有していた可能性があります。
古代において建物の屋根は特に重要視され、人々は屋根を「舟」として捉えていたと考えられます。上社の御柱が棟木・垂木・束の構造を示すこと、下社の御柱が梁に相当することは、古代の建築構造そのものが象徴的意味を帯びていたことを示唆します。現代では柱や梁が壁や天井に隠され、骨組みに対する意識が薄れていますが、古代では木材がむき出しであったため、その形態に対する感覚は非常に強かったと想像されます。
棟木(むなぎ)・垂木(たるき)・束(つか)の関係性は、△形に縦棒が加わる構造となり、「女性器」「男性器」の象徴形態とも重なります。また、古代諏訪地方の土器に表されるカエルやヘビの三本指の意匠とも共鳴し、生命・再生・変容を示す象徴体系の一部であったと考えられます。
下社の御柱に相当する梁についても、古代人の感覚を探る必要があります。漢字の「梁」は「向こうへ渡る」という意味を持つ「渉」が語源とされ、強風で倒れた大木が川や谷に橋のように架かり、人が渡る様子を表したものといわれています。棒状の木を水平に架け、二つの支点を結ぶ構造が「梁」であり、古代から橋の構造にも用いられてきました。住まいでは柱を補強し、屋根や二階の重量を支える重要な役割を果たします。
梁は現代では天井裏に隠れていますが、農家や町家では外に表れることもあり、モダン住宅では吹き抜けに太い梁を見せる例もあります。つっかい棒を「ばり」と呼ぶことがあるように、梁も「張り」から来ているという説があり、「張り」は「腫れる」が語源で丸く膨れた状態を指します。古代の梁は角材ではなく丸太状で弓なりの形をしていたため、梁を見せる工夫は古くから存在していたと考えられます。
私は、この弓なりの梁が意図的に造形されていた可能性を考えています。丸い形の橋や、妊娠した女性の張った腹を象徴し、生命の再生や復活を表現していたのではないでしょうか。舟が渡るための橋、人が現世から来世へ渡るための橋、そして妊娠した腹が象徴する再生――これらの象徴が御柱の構造に重ねられていたと考えられます。
また諏訪大社の下社の春宮の近くには祓戸神社を祀る浮島があり、その側を流れる砥川にかかる浮橋はこの御柱の「梁」とも響き合います。
この浮橋はイザナギ命とイザナミ命が天の浮橋で天の沼矛で海をかき混ぜ雫がたれオノゴロ島ができた神話の天の浮橋とも共鳴しています。
以上のことから、諏訪大社の御柱は「舟」「橋」といった象徴を内包し、再生・復活・変容を表す御柱として古代諏訪の人々に理解されていた可能性があります。上社と下社の御柱の形式は、単なる建築材ではなく、生命と宇宙の循環を示す象徴的構造として位置づけられていたと考えられます。
※ 梁の写真は「ホームプロ」さんからお借りしました。





