青森県八戸市の北海道・北東北世界文化遺産である是川遺跡から出土した「合掌土偶」について考察します。 この土偶は体育座りの姿勢で両手を胸前で合わせた、きわめて珍しい座位の形態を示します。立位の土偶が大半を占める中で、この姿勢は特異であり、よく知られています。
是川遺跡のガイドさんの説明では、この姿勢はこの時代の出産姿勢ではないかという指摘がありました。また、合掌した両手の指が六本ずつ表現されている点も特徴的です。
上の模型図は実際の合掌土偶が出土した環状集落を表現しています
この合掌土偶は、集落図の青丸(上の模型図の写真)で示される竪穴住居跡から出土しました。住居は掘立柱で円形に掘り込まれた竪穴式で、集落全体は環状集落を形成し、その中央には土坑墓が配置されていました。 この竪穴住居内の北側の位置から出土し(下の図)、合掌土偶が安置されていたと推測されています。
古代の神社や平城京や平安京の太極殿などは北側に建てられ、南を正面とする配置が一般的です。神社の社殿の神鏡や太極殿の玉座に座す天皇も南を向く形態がとられています。 この合掌土偶も同様に、北側に据えられ南を向いていたと考えられます。つまりこの土偶はとても神聖視され縄文人はこの土偶を女神として崇め、出産の順調、母子の健康、食料の安定的な確保など、生活の根幹に関わる願いを込めて祈りを捧げていたのではないかと私は考えています。
北側に置くという行為は地球の磁力線(エネルギー)が北から入り込み、南から出て行くという循環を認識してこのような配置にしたと思われます。縄文時代からこのような配置がなされていたことは驚きですね。




