古代日本では「鹿」が神の使いとして崇められた時代があり、諏訪大社の御頭祭、春日大社、鹿島神宮などにその痕跡が色濃く残っています。
この鹿を神聖視する風習は、いつ頃から日本で成立したのでしょうか。
縄文時代の土器や土偶にはイノシシが多く描かれますが、弥生時代に入ると鹿の表現が増加し、奈良時代には鹿が神の使いとして確固たる地位を占めるようになります。私は、弓・矢・狩猟具と鹿の象徴性には密接なつながりがあると考えています。
モンゴルの青銅器時代後期、オーシギン・ウブリーン遺跡には「鹿石」と呼ばれる高さ1〜3メートルの石柱が立ち並び、その表面には鹿、弓矢、盾、ナイフなどが刻まれています。周囲にはストーンサークルも存在し、明らかに祭祀的な空間を形成しています。
近年の遺伝子研究では、弥生時代に日本へ東アジア系の遺伝子が流入したことが明らかになっています。これを踏まえると、東ユーラシアのモンゴル系の人々が、馬とともに弓矢を中心とした独自の狩猟文化を日本にもたらした可能性は十分に考えられます。
鹿石の頂部には円(〇)が刻まれ、その円に向かって鹿が跳躍するように描かれたものがあります。鹿の多くは東向きで、円は太陽を象徴していると考えられます。この「太陽円盤」と「鹿の角」を結びつけると、古代エジプトの神々が頭上に戴く“角と太陽円盤”の象徴と響き合うように見えます。
また、モンゴルの人々の顔立ちは日本人と非常に近く、文化的にも古層での共通性があると考えられます。ストーンサークルが日本・中国・モンゴル・イギリスなど広範囲に存在することも、ユーラシア全体に共通する象徴体系の存在を示唆しています。
一般的には、中国南部や朝鮮半島との文化的つながりに注目が集まりがちですが、東ユーラシア大陸から日本への文化・習俗の交流にも、今後新たな発見が期待できると考えています。
