古代人は、人間の鼻を単なる呼吸器官としてではなく、霊的な通路・神の力が発揮される柱・宇宙の中心軸として捉えていた可能性があります。本稿では、日本神話における伊邪那岐命の禊、古代エジプトの像の鼻の破壊、ネフェルトゥムと太陽神ラーの関係、中国の三星堆遺跡、大湯環状列石などを手がかりに、鼻が持つ象徴的意味を探ります。鼻は「神の顔の中心」であり、神性の発動点=柱=軸=トーラスの中心として、古代人の宇宙観に深く根ざしていたのではないでしょうか。
古代人は、人間の鼻をどのような感覚で捉えていたのでしょうか。
日本神話では、伊邪那岐命が禊を行い、左目を洗った際に天照大神、右目を洗った際に月読命、鼻を洗った際に須佐之男命が誕生したとされています。現代人の感覚では、顔の部位から神が生まれるという発想は理解しづらいかもしれませんが、古代人にとって顔の中心である鼻は、特別な意味を持っていたと考えられます。
古代エジプトの遺跡では、スフィンクスやファラオ像などの鼻が集中的に破壊されている例が多く見られます。これは宗教的・政治的な理由による偶像破壊であり、神々や王の力を無効化するために、鼻を壊して「神の息の根を止める」意図があったとされています。鼻は「息=霊=生命力」の象徴であり、神性の発動点だったのです。

『死者の書』に登場するネフェルトゥムは、「青いロータスの
花の化身」とされ、太陽神ラーの鼻先に咲くロータスの花として描かれています。これは単に香りで活力を与えるというよりも、鼻とロータスの融合=神の中心軸の活性化と捉えるべきでしょう。ロータスの花はトーラス構造を象徴し、その中心にエネルギーが流れ、また出ていく。古代人はこの中心部分を「柱」や「軸」として感覚的に理解していたと思われます。
中国の三星堆遺跡の仮面(下中央の写真)は、飛び出た目が有名ですが、鼻も柱のようにまっすぐ伸びており、これも「神の顔の軸」としての象徴性を持っていると考えられます。さらに、大湯環状列石の日時計状組石も、トーラスの中心に柱が立つ構造であり、古代人が宇宙の中心軸として認識していた可能性があります。


鼻は顔の中心であり、頭は神が宿る場所。鼻はその中心の柱であり、神の力が発揮されるための重要な場所だったのではないでしょうか。独楽や車のタイヤの心棒がしっかりしていないと正常に動かないように、柱や軸は動きと秩序の源です。
古代人は柱や軸を「神が宿るもの」、あるいはそれ自体を「神」と考えていた節があります。神を数えるときに「一柱、二柱」と数えるのも、その象徴性を物語っています。
鼻は、神の顔に刻まれた中心軸。そこに神の息吹が宿り、宇宙の秩序が流れ出すのです。





