感覚が研ぎ澄まされる…んー、良い言葉と今日は感じる。なぜかと言うと、自分の感覚が今日はなんとなく冴えてるから(笑)
もちろん、体調が悪いわけでもないし、天気も良い。きっとバイオリズムも良いんだろうなとは思うが、それだけじゃないんだなぁ。
時計を確認して動かなくても、予定してる行動がピッタリ合う!たまにこんな日がある。頭で考えてるわけじゃなく、感覚的に動ける日。
その感覚通りに行動すると全てが上手く回る1日。そんな日は気分良い。だから、感覚が研ぎ澄まされると感じるのか?
普段から腕時計は付けてるけど、全く時計いらずの日。むしろ行動後に時間を確認してるだけ。
誰にでもこんな日があるのかな?と思った。
普段の休みはダラダラと過ごすのに、不思議と今動けば、やりたいことが全部時間通り上手くできそうな感覚に動かされるような…もう1人の自分が話しかけてくるような感覚。
こんな日はホントに時間の概念がなくなったかのように行動してる自分。
夜になってふと思った。もしや、日常生活でも時間に執着してるのか?出勤時間に間に合うとか、病院の予約時間とか。実は会社や病院に執着してるんじゃなく、時間に執着してるのか?
間に合わないと遅刻するとか、診察してもらえない。結果的にそういう事実になるのだけど、だからこそ時間に執着してる?
そう思うと時刻は時計で見れるけど、時間の流れそのものは目に見えるものじゃない、アナログ時計なら。それこそ何となく針の間隔を体感に置き換えてこれくらいかな?と感覚で時間を計ってるのかもしれない。が、デジタルだと時刻しか示さない。もしかすると、だから自分はアナログ時計しか使わないのかもしれない。
だとすると、少なくもとも自分は時間を感覚に置き換えてる。これを体内時計…とは言わないだろうな(笑)
時間への執着と表現してみたが、時間に執着する人も重いと感じられるのかな?
たとえば、待ち合わせ時間に厳しい人。1分でも遅れたとか早いとか時間にうるさい人を、ウザいと思うのか?待ち合わせ時間には、比較的ルーズな自分からするとウザい!までは感じないとしても、ずいぶん細かい人だとは思うだろう。と同時に細かくて重苦しいなと感じるだろう。
自分が時間に全くルーズとは思いたくないが、待ち合わせ時間には、あまり神経質ではないタイプなのは間違いない。遅れる時間の程度もあるだろうが、同僚、友人や恋人が10~15分待ち合わせに遅れたとしても、さほど問題ではない。だから時間に厳しい人をウザいと思うのかな?
こうなると、自分から見ると、待ち合わせ時間に細かい人=執着してる人とも見えなくもないんだな。
う~ん時間に細かい人でさえ時間への執着を感じるなら、何事にも執着は邪魔ってことになるのか?
昨日も触れたけど、改めて考えてみると執着はやはり手離すのが一番!執着があっても何も良いことはないな!って結論が今夜は出た。
かといって無関心な人にも見られたくはないが(笑)