引き続き執念と執着を考えてみた。
もしかすると、執念は思いが達成されると消えるが、執着はいつ消えるんだろう?
そもそも執着には目指すべき最終目標がないように感じる。
昨日書いた甲子園に行きたいという目標があるから、執念でその切符を手に入れたい。
恋愛なら、どうしても彼氏にしたい、彼女にしたい!その目的を達成するために様々な努力をするのではないか?デートに誘うのに相手の好きな食べ物を探ったとする、だったらそこでどうやって食事しようか?と考える。どちらもハッキリした目的がある。
甲子園に行くという目標なら、そのために野球をしてる、厳しい練習をする。その目標が達成されたら歓喜するだろうし、叶わなければ落胆はするだろうが、例えば負けたことに執着するだろうか?
甲子園でも敗戦のコメントは聞かれるわけだが、負けたことに言い訳は聞いた気がしない。精一杯頑張ったが力不足。とか、相手の方が上だったとか。
逆に言うと、負けたことに執着するコメントは聞いた覚えがないように思う。潔良いイメージしかない。
ところが恋愛だとどうだろう?仮に恋が成就しないと、いつまでも未練を引きずる場合もあるだろう。
これがきっと執着なんだろうな。だったら、財産も家族も友人も何もかも失う覚悟で恋人が欲しいと行動したら、執着は残らないのだろうか?自分に経験はないが、案外残らないのかもしれないような気もする。
これだけの覚悟でアプローチしたのにどうしようもなかった。もう恋する事にも疲れた。となるような気がしないでもない。
男と女で感覚の違いはあるのかもしれないけど、覚悟の度合いで執着も違うような気がする。
まぁ執念深いという言葉もあるから、執念にも限度はあるんだろう。
でも、少なくとも恋愛なら、ただ好きだからって思うだけで行動して得られる結末と、ある程度の執念で計画的に行動した結末では、結果的に思う感情は違うのでは?
もうやることがない、やるだけやったと感じたら、諦めるだろうし。まだ何かできるかも?と感じたら未練であり、それが執着か?
だったら結果的に感じる執着より、最初から執念があったほうが、まだマシと考えるが…
物理的な目標と対人関係。何と表現するのか?心理的な目標では、なかなか執念も厄介なのかな?