「どうして勉強しなくちゃいけないの?」② ~親は感動をこめて語れ~ [金曜日担当:管野] | 教育研究所ARCS - 独断的教育論 -

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教育現場のプロ3人衆による本音トーク

たとえば子どもに勉強してもらいたいために、親が「頑張って成績上がったら、おこづかいアップしてあげるよ」とか「スマホ買ってやる」というのは典型的な外的動機づけです。


この逆の「成績下がったら○○は禁止」というのも同じです。


勉強すれば将来良い暮らしができる。

勉強しなければ将来困る。

これも全く同じ発想です。


条件や見返りを求める点で、その条件や見返りがなくなればたちまち勉強意欲も消えてしまう。

やはり「外側からの動機づけ」は長続きしないのですね。


では内側から動機づけるとはどういうことでしょうか。


これは子ども自身が「勉強」に純粋な興味と関心をもって、主体的に「やる気」を感じるとき始めてその効果があがる事を考えれば、まず親なり先生なりが子どもの心に響く言葉を発しているかどうかが問われます。


それも子どもを誘導する意図をもつのではなく、何気ない言葉自らの興味を熱意を込めて語る時に、効果が表れることが多いのです。



ここで少し個人的な話をしたいと思います。

私が子どもの頃の父親とのエピソードです。


小学生の時、私の家には風呂がありませんでした。何しろ昭和30年代です…。

当時人々は銭湯に行くのが普通でした。

ある冬の夜たまたま父と二人で銭湯に行き、その帰り道で父は私に話しかけました。


「空を見てごらん。無数の星が輝いているよね。


私は空を見上げました。満点の星空でした。北海道の田舎です。星をさえぎるものはありません。

天空はきらめく星でいっぱいで、私は吸い込まれていくような錯覚を覚えました。



「あの星の一つひとつは皆、何光年も何十光年も離れている。だから今見えている星は、百光年なら百年かかってここに届いているんだよ。


父は続けます。

「だから今見えている星の輝きは百年前の姿なんだね。」


私はこの時、不思議な感覚を感じると同時に深く感動しました

聞き慣れない「光年」という言葉と、百光年離れた星は百年前の姿を今ここに現しているということ。


ロマンチックな想像力の刺激と知的好奇心の入り混じった不思議な感動でした。



この、父とのエピソードで私は何を言いたいのか。


冬の夜空の星にまつわる、何気ない父子の会話ですが、私にとっては忘れられない大切な記憶なのです。


それは私にとって「勉強」というものが、知ることの喜びを土台に成り立っていると気づく最初の経験だったからです。


その後ニュートンやアインシュタインに興味を持ったのも、根底にはこの時の「神秘へのあこがれ」があったと思います。


そこには常に「不思議を解明する喜び」がありました。


父は直接、勉強を連想させる言葉を使ったわけでも、私を誘導したわけでもありません。

ただ、自分の知っていることを感動を込めて語っただけです。



実はこのことが大切なのです。


親の何気ない、純粋な気持ちのこもった一言子どもの知的興味をゆり動かすということ。


星でも、野に咲く花でも良い。

日常的にありきたりに存在しているかに見えるモノや出来事が、実はありきたりに在るのではなく、背景により大きくて深い様々な要因がからみ合って、今ここにこの様な姿として在る。



私たちは五感を通して外界を感知します。

逆に言えば、五感で感知した世界しか認識できません。


しかし、その五感を超えた大きな力―法則―が宇宙に存在していて、それは私たちの身の回りのモノや私たちの身体、そして精神にもあまねく作用しています。


その力(法則)を知ることで、私たちは五感に縛られた狭い世界から一段次元の高い視点を獲得し、より全体像(真実)に近づくことができるのです。


つまり学ぶこと、知識を得ることは私たちを自由にし、視野を拡大させかつそのことで私たちに強い喜びを感じさせるものなのです


少し小難しい話になりました(汗)。



繰り返しになりますが、私の父は「数学もっとガンバレ!」とか「英語勉強しないと将来困るぞ」といった、直接的な勉強への誘導はしませんでした。


もしかすると、父も別の機会ではそのような励ましを言ったのかも知れません。


しかしそのような露骨な「勉強しろ」的な言葉は、私の記憶に残らず何気なく語ってくれた星の話は50年近く経った今でも残っていて、私を動機づけ続けているのです。



内的動機づけといっても、実はこのように難しいものではありません。


誰にでも出来るのです


話題はそれこそ何でも良いのです


目の前にある日常的なものや、テレビや新聞で話題になっているニュースなど、素材はいくらでも転がっています。


それらをいつも見えている姿から、あるいは一般の常識という観点からちょっとだけ視点を変えて話してみる。少しだけ考え方をズラしてみる


これだけで良いのです。


子どもたちの想像力や知的好奇心は、我々大人が思うよりずっと大きいのです



私たちは勉強というものをあまりに難しく捉え過ぎています。

勉強をあまりに深刻に考え過ぎています

知的好奇心は誰にでもあるのです。

その原点に戻れば良いのです。



これからは、もしお子様が「どうして勉強しなくちゃいけないの?」と聞いてきたら、今日の私の話を思い出して、子どもたちの視点が少しだけ変わるようなヒントを与えてあげて下さい。



「勉強しないと将来困るぞ」という、いつものお説教よりは、きっと子どもの

未来に良い影響を及ぼすことと思います。



長文失礼しました。


ここまでお読み頂きありがとうございます。



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今回はさらにパワーアップして第2弾をお送りします!

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日時:2014年7月5日(土)19:00~21:00(開場18:30)
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