歌舞伎初体験 [月曜日担当:庄本] | 教育研究所ARCS - 独断的教育論 -

教育研究所ARCS - 独断的教育論 -

教育現場のプロ3人衆による本音トーク

 先日、勤めている塾の遠足引率で、歌舞伎を見てきました。

あいにくの大雨の中、東京のど真ん中まで行くのは大変でしたが、生徒たちも皆しっかりしていて、とても小学生とは思えないほどに落ち着いています。おかげで大きな問題も無く、無事劇場に到着。

その日のメニューは、30分の「歌舞伎教室」のあとに、森鴎外原作の小説を元にした『じいさんばあさん』という近代作品を続いてみるというもの。

思えば西欧の芸術(クラシックやオペラ)は大好きでよく鑑賞するにもかかわらず、日本の伝統芸能にはこれまで全く興味を持たずに生きてきました。はっきりした理由があるわけではないのですが、なぜか食指が動かない。恥ずかしながら歌舞伎初体験です。

歌舞伎教室では、歌舞伎特有の見栄(というのかな)の切り方や、殺陣などが解説とともに演じられます。私たちのグループが座っていたのは三階席なので、舞台全体が俯瞰できます。この視点か見てみると、殺陣の刀はそもそも全く斬り合っていないし、解説がなければ戦いのシーンであることすらも分かりづらいほど。現代の「リアリティ」を追求した劇をテレビや映画で見慣れている私たちには、強烈な違和感が残ります。でも、そもそもこの「違和感」こそが、私たちが知らぬ間に教え込まれてきた「常識」、普段は意識することもない空気のような「あたりまえの感覚」が実はあたりまえではないことに気づかせてくれるのです。

歌舞伎もオペラも出来事や人物の特徴を鮮やかに切り取り、そこを(現代人からすれば)極端に描写する芸術です。そして、当時の人々にとってはそれが娯楽であり、何の疑問もなく受け入れることができたわけです。私たちがこの極端さ、デフォルメを純粋に楽しむことができないとすれば、その理由は私たちの「あたりまえの感覚」の方にこそあるのでしょう。

 この「あたりまえの感覚」は、時代によっても国によっても違いますが、その中に生きている人々にはそれが「あたりまえ」ではなく「特殊」なものであることに気づくことがなかなかできません。そして私たちは自分の「あたりまえ」を他人にも押しつけてしまう傾向があります。

大学入試では非常によく出題される内容ですので、私も生徒に講義することが多いテーマですが、意外なところで強く実感することができました








人気ブログランキングへ