おいしいコーヒーから分かること [月曜日担当:庄本] | 教育研究所ARCS - 独断的教育論 -

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教育現場のプロ3人衆による本音トーク

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 前回の記事でコーヒーについて書きました。悩みながら日夜コーヒーメーカーのカタログを眺めるにつけ、私たちの生きているこの世界の「奥深さ」に驚かされます。

 つい数ヶ月前までは、ただの水代わりに過ぎず、なんら興味がなかったコーヒーという飲み物も、一度興味を持って調べてみればそこには凄まじいディープな世界が広がっています豆を煎る深さ産地豆の混ぜ合わせ方によって無限に近い味のバラエティがあり、そこにさらに抽出法の違いから変化が加わります。その一つ一つを深めていけば、各項目で一冊の本がかけるほどです。

そう考えてみると、私たちの身近に転がるありふれたもの一つ一つに、深い深い世界が隠されています。長い人類の歴史の中で培われてきた知識の集積体として、すべてのものが存在するという事実は、気づいてみればとても感動的ですね。ありふれた飲み物一つですら、解きほぐし、展開していくと、壮大な歴史にたどり着きます。わたしの得意分野でいえば、ヨーロッパでコーヒーが飲まれるようになったきっかけは、ある世界史上の重要な事件にあります。



皆さん、第二次ウィーン包囲という事件をご存じですか? 17世紀後半に起こった、オスマン帝国とオーストリアの戦いです。現代の私たちにはピンとこないかもしれませんが、17世紀になるまで、西欧世界の中心国家はイギリスでもフランスでもドイツでもありませんでした。地中海地域最大の版図を持ち、最先端の文明を築き上げていたのは、オスマン・トルコ帝国。現在のトルコ共和国の前身にあたる国です。それは小アジアからアラビア半島、エジプトまでを支配下に置いた大帝国であり、かの国に比べればフランスやイギリスなど辺境の小国でしかありません。この大帝国トルコは、西欧の大国であるオーストリア(神聖ローマ帝国)への侵攻を虎視眈々と狙い、オーストリアはそれをしのぐのに精一杯の有様です。16世紀に行われたトルコの侵攻「第一次ウィーン包囲」と呼ばれ、このときはかろうじて首都ウィーンの陥落を免れたものの、バルカン半島のほとんどをトルコにとられてしまいます。

しかし、その後1世紀以上が経ち、ついにヨーロッパ諸国の興隆が始まります。それと期を同じくして、栄華を誇ったトルコは衰えを見せ始めました。そんな中で、今から右肩上がりに成長していく西欧と、頂点を過ぎて衰退の道を歩むトルコが交差したのが、「第二次ウィーン包囲」なのです。前回と同様、トルコはウィーンを包囲しますが、今度はオスマン軍をさんざんに打ち破ることに成功します。包囲していたトルコ軍は壊滅し、その後の戦いでバルカン半島の領土を大きく失うこととなってしまいました。

この戦いは、数世紀続いた「トルコの時代」の終わりと、「欧州の時代」の幕開けを告げる事件として有名です。さらに、この政治的大事件はヨーロッパの文化にも大きな影響を与えることになります。ウィーンを包囲したトルコ軍が飲んでいたコーヒーが、彼らが逃げ去った後戦場に残され、オーストリアの手に渡ったのです。その結果、コーヒーはウィーンを中心にじわじわとヨーロッパに広まっていくことになります。

現代ではアメリカやイタリア、フランスで飲まれている印象が強いコーヒーですが、その元をたどっていくと、「ヨーロッパの興隆」という近代史最大の事件にぶちあたります。



意外なものが意外なところとつながっているという驚きは、まさに文系科目ならではの楽しみです。皆さんも是非、普段意識せずに使っている身の回りのものの由来を調べてみてください。本当に楽しい世界が広がっていますよ!





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