冬、肩凝りに悩まされ…てはいない [水曜日担当:池村] | 教育研究所ARCS - 独断的教育論 -

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教育現場のプロ3人衆による本音トーク

 つい先日に記録的な積雪もあり、今年の冬はとても寒いなとしみじみ思うこの頃ですが、私の場合は特に寒さが厳しくなると同時に「肩凝り」もひどくなります。


 私の肩こりとの付き合いは、かれこれ中学生のときからになります。中2のときに、あまりにも肩が凝り首が痛かったので整形外科で診てもらったところ、自律神経失調症とのこと。どうりで何に対してもやる気が出なかったわけです。まあ成長期だったこともあり、ホルモンバランスが崩れたりしたからだということですが。


 整形外科ではラグビーに使うヘッドギアのようなものをかぶらされて、首をつったり(アッチの意味ではなく…)したのですがどうにも成果が出ず、ラチがあかないので母親が知り合いのから紹介してもらった都内の整骨院(当時はまだ流行りだす前で珍しかった)に通うようになりました。そこで覚えてしまったのが、あの背中をならす「ボキッボキッ」という感触です。


 そして気づけば、私にとって肩凝りは‘面倒なもの’から、‘なければそれで構わないし、あればほぐすのが楽しみなもの’に昇格したのです。


 高校時代は部活で水球をやっていて全身の血流がよくなったためか、まったく肩凝りがなくりました。それはそれで平穏な日々だったように思いますが、心のどこかで物足りなさを感じていたかもしれません。


 大人になると趣味で続けていなければ、コンスタントな運動というものはしなくなります。私も例外ではなく、まったくと言ってよいほど運動をしなくなってしまいました。


 それと同時に復活したのが肩凝りです。


 特に冬場は体が冷えますから、普通に過ごしているだけで相当な凝りが襲います。うまい具合に巷では気軽に通える整体の店が増え、今に至るまで私は足しげく通っています。




 さて、以上の話は私の肩凝りに対する、今だからこその自己分析です。実は私、つい最近まで「相変わらず冬は肩凝りがひどくて大変だなぁ、どうして自分はこんな体質なんだろう」と本気で思っていたのです。ところが人との会話をきっかけにして、「もしかして自分は望んで肩凝りになっているのでは?」という疑問から自問自答し、「自分は肩凝りが治らない方向に行動している」ということに気づいてしまったのです。



 何が言いたいのか支離滅裂になる前にまとめます。

 要するに、人がなにかいつまでも変わらない問題を抱えている場合、往々にして「むしろ自分でそれを望んでいるのではないか」ということです。


 そこに気づくことができたとしたら、新たな発想や解決に乗り出すことが出来るのではないかと。

 同じ失敗をしてしまう私、いつも同じようなことで叱られる僕、思い当たることがあったら自己分析してみてはどうでしょうか。