親は子どもが勉強さえしていれば安心なのか [金曜日担当:管野] | 教育研究所ARCS - 独断的教育論 -

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教育現場のプロ3人衆による本音トーク

5年ぶりくらいにカゼを引きました。
夕べから高熱が続きさっき(昼すぎ)やっと起き上がり、今これを書いています。
身体のふしぶしが痛く頭もガンガンするし、もしやインフルエンザ!?と怯えています。

こんな状態なので今日は「親は子どもの心配をするな③」は次回に延期します。

済みません~。

その代わりといっては何ですが書きためていた原稿の中から「親は子どもが勉強さえしていれば安心なのか」をアップします。

親は子どもの心配をしすぎることについて書いてきましたが、逆に勉強さえしていれば安心というのもどうなのか。

考えていただければと思います。


親は子どもが勉強さえしていれば安心なのか

大抵の親は自分の子どもが勉強してくれると無条件に嬉しくなるものです。
私もそうです。子どもが部屋にこもって机に向っている姿を見るだけで何かホッとした安心を覚える。
その時の気持ちは「よしよし。頑張ってるな。」というものです。

でも長年教育者などというものをやっている身からすると、これは少し安心なことではないと気づく(笑)。

第一子どもが机に向って教科書を広げていたからといって熱心に勉強しているとは限らないでしょ?
ボーっと考えごとにふけっているだけかも知れないし、それさえしていないかも知れない。
目をあけたまま寝ている(笑)可能性もある。
まあ今言ったようなことは誰でも想像がつきます。

私が本当に問題にしたいことは実はこのことではなく、子どもが勉強しているだけで喜ぶ親の姿勢の方なのです。
子どもが勉強さえしていれば満足という親の心のあり方に疑問をもってしまう。

だから、親であるあなたに聞きます。
なぜあなたは「子どもが勉強していると安心」なのでしょう

なぜ子どもが遊んでいるのではなく、友だちとケンカしたり仲直りしたりするのでもなく、社会問題に関心をもったり、色々な疑問を発して周囲を困らせたり、先生にタテついたりではなく、勉強に「安心」を感じるのでしょう?

今書き連ねたことも勉強かも知れないとは思わないのはなぜでしょう?

もちろん分っています。分っていて少し意地悪で言っています。

親は子どもが成績にかかわる勉強、成績や入試に有利になる勉強をして欲しいからです。教科書、参考書、問題集…など。
いわゆるペーパーテスト向けのちゃんとした「お勉強」こそが勉強であり、良い成績をとって良い学校に入ることこそが子どもの将来を良いものにしてくれる、少なくとも有利な条件を手に入れることができる近道であり方法ツールであると固く信じているからでしょう。


実はここに落とし穴があるのです。

一つ、子どもが「勉強してさえいれば安心」という親の気持ちはあまりに短絡的であること。

二つ、その「勉強」は子どもの本当の能力を引き出すことにつながっているのか疑問ということ。

三つ、ペーパーテストのための勉強を頑張ってもその後の幸せ、つまり良い学校→良い就職先→安定した生活という従来型の幸せ生活が自動で手に入る保証はないのが現状

それなのに親の意識は子どもをそのような古典的な幸せ像にはめこもうとしている。
だから机に向っていれば安心という態度になるのでしょう。

本当はそのような「勉強さえしていれば将来は安泰」という時代はとうの昔に過ぎています。

今はもしかしたら勉強よりもゲームに夢中だったり友人と遊びほうけている子の方が、あるいは部活や趣味に熱中する方が嫌々勉強することより将来につながる可能性が高いかも知れないのです。

親であるあなたはどう感じるでしょうか。

少なくとも子どもが机に向って勉強していれば安心とは思わないのでは?

それとも、そんなこと言っても成績は大事だ。入試だってあるしと反発しますか?