食べたい人が食べればよい
数学を勉強する意味があるかどうか。その疑問を発する人のほとんどは
「実際に自分の生活に役立つの?」
という意味で言っているのだと思います。
その意味で言ったら「初歩的なものについては皆に役立つ(というより知っていないと困るレベル)」だし、「ある程度高度なレベルのものについては一部の人に必要」というのが実際のところでしょう。
初歩的なものとは、「算数レベルの計算~1次方程式をはじめとする中2ぐらいまでの内容」、ある程度高度なものは「中3~高校レベルまたはそれ以上の内容」としておきましょう。
実際、中学で学ぶ基本的なもの─関数や確率の概念など─は、現代に生きる上での共通言語に等しく、例え文系方面の仕事をするとしてもなくてはお話になりません。
ただし、高度な内容は専門的な職種でしか必要としない場合が多いでしょう。
ならば必要最低限の内容だけ一律に学んで、あとはやりたい人だけやればいいじゃない?ということになりますね。
そう、私は基本的にはそう思っています。それは数学好きという立場からです。しかし教育者という立場からはまた少し違う思いもあります。
数学という科目は少し特殊な性質があると思っています。前編で述べた通り、民間レベルでも知的遊戯として楽しまれ、自然にその文化レベルが高まる──これは古代からそうで、図形の性質などは、もちろん建築物の設計などに直接役立つ場合もありますが、そうでなかったとしても人々の好奇心から発展していったでしょう。
彼らは世界の法則(秘密)を知った喜びを大切な宝物としていたのです。
で、その世界の体系が独自に発展した結果として、思いがけず文明に大きく貢献する場面が出てきた。そういう背景が強い学問なんですよね。
だから私などは、こんな何物にも代えがたい宝物、「いりませ~ん」と言っている人にはもったいなくて…(笑)。
例えば自分が美味しいと思う料理を
「あんまり好きじゃないんだよなぁ。でも食べないと体こわすから無理にでも食べとくか」
なんて言われたら、
「ちょっと待った。こっちの料理あげるからそれちょうだい」
と、交換させてもらいたくなりますよね。
だから数学好きの立場としては、
「あとは美味しさのわかる人が食べればいい」
という気持ちになるのです。