ゲームばかりやる子は心配?[管野 淳一] | 教育研究所ARCS - 独断的教育論 -

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教育現場のプロ3人衆による本音トーク

小中学生をもつ親御さんと話す機会が多い。
 最近よく相談を受けるのが、ゲームばかりすスマホやLINEを無制限に使わせても良いのかなど。いかにも現代的な質問が多い。
 私の回答はどちらでも良い。使わせても良いと思うなら使わせるし、良くないと思えば初めから持たせないもオッケー。
 で、初めは持たせない方針だったのに子どもが「クラスで持ってないのは自分くらいなものだ…」と言うのを聞き、我が子だけ持ってないのはかわいそうだと方針転換(笑)して許可しても構わない。
 要するにどうでも良い(笑)。持とうが持つまいが関係ない。問題があるとしたら、冒頭のようにそればかりやって他がおろそかになるくらいだが、これに関しても私はいっときハマっても大して問題だと思っていない




 いつの時代でも子どもたちの間で流行るモノが存在する。それはその時代の最新の機器であったり先端の文化であったりする。

 それ以前になかった新しい文物に対しては大人たちはいつだって保守的である。
 警戒し危機感をもつ。


 一昔前も旧式の携帯ファミコンゲームがやり玉に上がっていたし、マンガアニメもそうだった。私が子どもの頃はテレビを観ることが子どもの脳に悪影響を与えるとして問題視されたし、大学生がマンガを読むと言って批判された

 小説や詩を読むことが不良化につながると心配された時代もあった。
 もっとさかのぼると勉強することが悪と見なされた。私の祖父母の時代である。

 これには解説がいるかもしれない。
 当時(明治時代)はランプの灯りで本を読み勉強した。ランプの油がもったいないからという理由で親が子どもに勉強を禁止したのである。
 (ちなみに祖母の話だと親が寝静まってから布団をかぶってコッソリランプを灯し、教科書を読んだという。)

 まあ、当時は立派な労働力である10代の子どもが学校に行く理由が人々に理解できなかったのが真相だが…。

 今、小説や詩を不良化と結びつける人がいるだろうか。マンガは?マンガやアニメは今や日本を代表する文化的遺産であり数少ない日本が世界に発信する先端文化である。

 「勉強」に関しては言うまでもない。親がお金を出しても子どもにやって欲しいモノに格上げ(?)されている。

 こうしてみれば、その時々の流行に過敏に反応して右往左往すべきではないのが分かる。一時は流行に飲まれても必ず自分なりの使い方をを覚えるのが子どもである。


 それよりも携帯、スマホ、LINE、インターネットなどのいわゆるソーシャルネットワークの問題は、大人と子どもの境い目を急速に失くしていることにある。

これらの機器を使えば人と人が簡単につながることができ、情報の伝達も早い。良いことも悪いこともアッという間に広がる。

人と人が簡単につながることはその場限りの関係を生む。時間をかけて構築すべき人間関係が簡単に作られ壊されていく。

今や人間関係それ自体も消費関係に過ぎず、その賞味期限も驚くほど短い。ネットでの「つながり過ぎる関係」が犯罪に利用されたり人間関係をかえって損なう原因にもなっている。

同じことが子ども社会にも起こっているのだ。塾の現場でもよく話題になるのは、スマホやLINEなどですぐに悪口が広がるのを恐れ、かえって子どもたち自身が本音での情報のやり取りを控える傾向にあること
しかしこれは何のことはない。ナマの人間関係がネット上でも再現されているに過ぎないとも言える。まだ大人より子どもたちの方が健全かも知れない。

いずれにせよ、これは携帯やスマホが悪いとかいう問題ではない。使いこなせない人間の未熟さがあらわになっていると考えるべきだ。

そういう点では、大人は子どものことを心配するより、次々と新商品をくり出してくるネットビジネスの商戦に巻きこまれ、機械を道具として使いこなせず、振り回されている自分たちの未熟さをこそ反省すべきではないのか。