数学、勉強する意味ある?~前編~[池村 卓人] | 教育研究所ARCS - 独断的教育論 -

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教育現場のプロ3人衆による本音トーク


 一度はこんな疑問を持ったことはありませんか?または子どもからそう訊かれる場合もあるのではないでしょうか。


そんなとき、ちょっと苦しい理屈かなと思いながらも「計算ができなかったら買い物のときに困るじゃない」などと返答したりしますよね(笑)。


数学を勉強する必要性を解いている人の中に「論理的思考」を鍛えるため、という理由を挙げている人も多くいます。たしかに論理性を体系的に学べることは数学という科目の大きな利点ですね。数学ではない問題を解決するときも論理性はベースになります。

また、本当に直接将来の仕事に生きる分野もたくさんあります。


でも子どもが中高生ぐらいになると、

なんてやりこめられたり。



で、結局「でも成績悪かったら入試も不利になるわよ!」と、親も半ば逆ギレして口論になってしまうのはよくある光景ですね。


確かに子どもの言うことにも一理あるかもしれない──それも視野に入れながら、私なりに数学を学ぶ意義について触れたいと思います。


「数学を勉強する必要があるのか」という問いに対する議論の前に、そもそもそういう疑問そのものについて考えてみたのですが、これって少なくとも制度として学校教育がなかった頃にはこの疑問自体なかったはずですよね。


実際、江戸時代などでは幕府が選んだ人物が特に学問を研究したりする一方、武士や町民は自学自習したり教えあったりしていたわけで、要するにやりたい人が勉強していたわけです。とはいえ、一部のマニアだけがハマっていたわけではありません。とりわけ和算(数学)は、かなり一般的な娯楽として浸透していたのです。


学校の前身となった寺子屋では、相当なレベル(高校数学以上)まで指南されていたいようで、場合によっては大学レベルのものまで町民や農民の人たちが使いこなしていたとか。

神社に奉納されていた算額(図形問題が記された額縁)の問題を見ると、正直言って私も解けないものが多数…。

かの関孝和はその当時で世界有数のレベルにあったそうですが、彼とて本職が別にあり、ある意味では皆「高度な知的遊戯」として楽しんでいたわけです。


そこに「やらなくちゃいけないから…」という現代特有のしがらみがあるはずもなく、楽しいからどんどん上達していっただけなのでしょう。

現代の子もたちがテレビゲームで超絶テクニックを身に着けるのと何ら変わりないのです。


⇒ 中編へつづく