高校生のケアをしていると、感覚の違いというのをよく感じます。
ほとんど勉強もしないのに、大学に行きたいとか、レベルが低いのに、やたらと高いレベルの大学を目標にしたり、、。考え方というのか、感覚というのか、高校生買え僕はとまどうことが多い。
僕が日本で受験生だった頃は、明るい青春を犠牲にして、それこそ血反吐を吐く思いで必死に勉強したので、彼らの言う“勉強”
知り合いの方が、こんなメールをくれました。
に関しては、留学を通して彼なりに成長した所はあるように存じますが、将来に対するビジョンや人生に対する真剣さにはまだ甘さが残るように思います。
ただ、これは篤史君だけではなく、他の生徒にも言えることであり、ゆとり世代独特の「現実的でないゆとり(現実社会では通用しないゆとり)」が感じられます。
小学校から大学という教育の場は、本当の社会とは異なる空間であるように思いますが、そこで通用していることが社会に出ると通用するわけではないということを私どもも常々申しております。しかしゆとり世代の生徒には実感して頂けないところが多々あり、心配は尽きません。この世代の特徴は、実力がなく大した努力もしないのに夢だけは大きいということだと思います。楽観的であることは宜しいのですが、その夢と自分との現実的な距離が測れないところがあり、実際その距離がどの程度のものであるかを認識すると、簡単に夢を捨ててしまう傾向にあります。楽観性、柔軟性があるとは言えますが、このような子ども達が学校教育という非現実的な空間から出て、現実社会に出ると、どうなるのだろうと思います。
政治は迷走し、借金の額は増え続け、若者達は所謂モラトリアム状態であり、働く場所は減っている日本社会ですので、日本が今後国際社会で占めるプレゼンスは確実に低下すると思います。また、ゆとり世代は日本国内の現状に満足する傾向にありますので、海外志向が弱いです。海外に出る動機も、中にはしっかりした人もいますが、中にはそうでない人も多いです。帰国生入試のPathwayのためにNZに来るという生徒も増えており、留学歴6ヶ月で帰国生入試を受けるという生徒もいます。勿論、受験できる大学など3校程度しかありませんし、受ける学部もばらばらです。「あなたは将来一体何をしたいの?」という疑問に対しても、一貫性のない非現実的な回答が返ってきて、「どの大学でもいい、どの学部でもいい、大学にさえいければ!」という本音が見て取れます。しかも、自分は合格できるという根拠のない自負があり、たとえ不合格に終わろうとも、飄々とする(できる)、ある種の強靭さがあります。
国を作るのは人ですから、人が弱くなっている(ある意味、いい加減になっている)日本の将来を憂慮します。
そのようなことを考えることが多くなりました。
ほとんど勉強もしないのに、大学に行きたいとか、レベルが低いのに、やたらと高いレベルの大学を目標にしたり、、。考え方というのか、感覚というのか、高校生買え僕はとまどうことが多い。
僕が日本で受験生だった頃は、明るい青春を犠牲にして、それこそ血反吐を吐く思いで必死に勉強したので、彼らの言う“勉強”
知り合いの方が、こんなメールをくれました。
に関しては、留学を通して彼なりに成長した所はあるように存じますが、将来に対するビジョンや人生に対する真剣さにはまだ甘さが残るように思います。
ただ、これは篤史君だけではなく、他の生徒にも言えることであり、ゆとり世代独特の「現実的でないゆとり(現実社会では通用しないゆとり)」が感じられます。
小学校から大学という教育の場は、本当の社会とは異なる空間であるように思いますが、そこで通用していることが社会に出ると通用するわけではないということを私どもも常々申しております。しかしゆとり世代の生徒には実感して頂けないところが多々あり、心配は尽きません。この世代の特徴は、実力がなく大した努力もしないのに夢だけは大きいということだと思います。楽観的であることは宜しいのですが、その夢と自分との現実的な距離が測れないところがあり、実際その距離がどの程度のものであるかを認識すると、簡単に夢を捨ててしまう傾向にあります。楽観性、柔軟性があるとは言えますが、このような子ども達が学校教育という非現実的な空間から出て、現実社会に出ると、どうなるのだろうと思います。
政治は迷走し、借金の額は増え続け、若者達は所謂モラトリアム状態であり、働く場所は減っている日本社会ですので、日本が今後国際社会で占めるプレゼンスは確実に低下すると思います。また、ゆとり世代は日本国内の現状に満足する傾向にありますので、海外志向が弱いです。海外に出る動機も、中にはしっかりした人もいますが、中にはそうでない人も多いです。帰国生入試のPathwayのためにNZに来るという生徒も増えており、留学歴6ヶ月で帰国生入試を受けるという生徒もいます。勿論、受験できる大学など3校程度しかありませんし、受ける学部もばらばらです。「あなたは将来一体何をしたいの?」という疑問に対しても、一貫性のない非現実的な回答が返ってきて、「どの大学でもいい、どの学部でもいい、大学にさえいければ!」という本音が見て取れます。しかも、自分は合格できるという根拠のない自負があり、たとえ不合格に終わろうとも、飄々とする(できる)、ある種の強靭さがあります。
国を作るのは人ですから、人が弱くなっている(ある意味、いい加減になっている)日本の将来を憂慮します。
そのようなことを考えることが多くなりました。