今日はちょっとシリアスな話題を振ります
LAの歴史、豆知識編として見て下さい。
まずはこの写真をご覧下さい。

若い女性が手足を掴まれ、警察官に犯罪者のように扱われています。
これは2008年3月29日に『Los Angeles Times』に掲載された記事です。
この日はドジャースの最初の本拠地だったNY州ブルックリンから、
カルフォルニア州ロサンゼルスへの移転50周年を記念する試合が
移転当初の本拠地であるロサンゼルス・コロシアムで行われるため
地元紙のLAタイムスがその歴史を振り返る特集を組んだものです。
現在のドジャー・スタジアムが建っている小高い丘は、
かつてチャベス・ラビンと呼ばれた、貧しいメキシコ系移民の集落がありました。
球場建設にあたっては彼らの立ち退きが問題となったのですが、
市当局は時に少々荒っぽい手段も講じたようです。
1959年5月9日、ドジャー・スタジアム建設のために
ロス市警は強権を発動。最後の住民を強制連行しました。
これがその時の写真です。
その結果、翌60年9月にようやく建設が開始され
1年半後(ドジャースのLA移転5シーズン目)の62年4月の開幕戦で
ようやくこけら落しを迎えたのです。
いまやドジャー・スタジアムは、1912年に完成したフェンウエイ・パーク、
1914年誕生のリグレー・フィールドに次ぐ古い球場ですが、
メジャー有数の美しい球場でもあります。新しい球場のように、
プール(チェイス・フィールド)などの娯楽設備はありませんし、
先月オープンしたマーリンズ・パークのフェンスに内蔵された
「ミニ水族館」のような奇をてらった仕掛けもありません。
しかし、西海岸の青空とカラフルに塗り分けられた
多層のスタンドとのコントラスト、天然芝の甘い香り、
外野席背後のパームツリーとその後方に連なる
サンガブリエル山脈の眺めなど、オーセンティックな
ボールパークの魅力が詰まっています。
前述の建設当時の経緯から、この球場は長い間、
メキシコ系住民地域にも関わらず、メキシコ系のファンは多くありませんでした。
しかし81年に、あのフェルナンド・バレンズエラが登場すると
「フェルナンド・マニア」現象が湧きおこり、多くのスパニッシュ系ファンが
スタンドに大挙するようになりました。
そして1995年には渡米した野茂英雄がデビュー。
今度は海を越えて多くのファンが日本から応援に訪れました。
他の都市の球場では、主としてチケットの値上がりにより
近年観客の白人比率が高まりましたが、ここのスタンドは
今でもマイノリティ(白人以外)の人たちが比較的多く、
多民族都市LAを象徴しています。
かつては便の良い公共交通機関がないのがタマに傷でしたが、
数年前からダウンタウンのユニオン駅からシャトルバスが
運行されていますので初めて現地観戦にチャレンジしようという
ファンにもオススメの球場です。