今日は長文なので活字が苦手な方や戦争の話題はNGな方は
あまりお勧めしませんが、知っていて欲しい話でもあります。
今日のお題はアメリカと日本におけるデリケートなお話。
あくまで私がアメリカで日系人の方々に聞いた話や古本屋で買った
本などを元に書きますので事実と異なる場合はご了承下さい。
戦前、米国に移住した日本人の子孫である2世は、
当時反日感情が高まる中で差別を受けました。
理由は日本が太平洋戦争の突入した作戦、コードネーム
”トラトラトラ”で知られる真珠湾攻撃がきっかけでした。
それまで差別がまったくないとは言いがたいまでも
それなりに平穏に暮らしていた日系アメリカ人の彼ら。
しかし、この日ハワイのパールハーバー(真珠湾)に奇襲をかけ
多くの戦火をあげた日本軍、そこから彼らの悲惨な日々が始まりました。
その日を境に多くのアメリカ人が日系アメリカ人を避け始めやがては食料など
日用品の不買など目に見える差別を受けるようになりました。
その後、LAの日系社会も混沌とし、やがてアリゾナ州の収容所などへ
家族全員、強制的に移送され、さながら難民キャンプを強いられました。
アメリカが母国のはずの2世達は母国から見放され、そして差別を受けました。
彼らがアメリカ人として普通の生活を取り戻す術、それはルーツであり
敵国である日本を相手に戦う事、それしかありませんでした。
しかし当時、志願しても敵国である日本の血筋を持った彼らを
信用せず白人社会からひたすら隔離する政策を取りました。
しかしその内、戦線はヨーロッパに拡大し、比例してアメリカ軍
つまり白人兵士にも多くの犠牲者が出るようになっていきました。
そこで政府も方針を変え、日系3世の彼らを兵士として鍛え上げ
ヨーロッパ戦線へ送り込んでいきました。
かくして日系人で構成されたアメリカの最強部隊
第100歩兵大隊や第442連隊戦闘団が出来上がりました。


戦い、そしてルーツである日本を打ち負かす事でしか
未来の無い、複雑で辛く、そして過酷な戦いが始まりました。
442連隊はフランスのボージュ山地でドイツ軍に包囲されていた
アメリカ人(白人や黒人)大隊を救出した功績などが知られています。
しかし当時の功績はほとんど発表されず、むしろ救出された
アメリカ人部隊を称えたりしていました。
その後、大戦は終わり長い年月を経て、一つの法案が昨年議会を通過し
そして今年、施行されました。
法案の内容は当時アメリカに在住していた日系2世で構成された部隊
第100歩兵大隊と第442連隊戦闘団の功績をたたえる内容でした。

ハワイ出身のダニエル・アカカ上院議員は
「日系米国人が民族性のみを理由に不当に抑留される中、
この勇敢な男たちはわが国を守るために志願した。
その勇気は戦争の勝利のみならず、
より寛大で公正な国家への道を開く役割を果たした」
との談話を発表した。
米軍に加わった日系人に米国民最高の「議会勲章」を授与する式典が2日、
連邦議会内で行われ、欧州戦線で戦った陸軍第442連隊などの出身者や
その家族数百人が参加しました。
式典には共和党のベイナー下院議長や民主党のリード上院院内総務ら
両党幹部が勢ぞろい。ベイナー氏は式辞で
「国内にあっては人種差別との、国外にあってはファシズムとの二つの戦いに
身を投じ、勇敢さと国家への献身を示した人々の功績を永遠にたたえる」
と述べました。
442連隊出身者で、戦後、ハーバード大教授(細胞生物学)になった
ススム・イトウさん(92)は式典後、
「日本人の精神を持っていることに誇りを感じている。
部隊のみんなで栄誉を受けたのはうれしい」と語りました。
かなり長かったから、皆さん途中で飽きちゃったかな?
その後、アメリカ国内で日系人がどのようになっていったか?
戦後、世界第2位(今は3位)の経済大国になった日本ですが
アメリカ国内で日本人がどのような働きをし、そして
今日、ビザ無しで気軽にアメリカに行ける様になったのか?
あまり本には書かれていないリアルな話もありますので
またの機会にじっくり書きたいと思います。
何にせよ、信念や努力は必ず報われる時が来る。
そう思いながら、今日も頑張ります!