遠藤周作の小説『沈黙』を原作とする

スコセッシの映画『サイレンス』をようやく観ることができた。

 

2時間40分という短い時間にしては

当時の事情をよく描けていて、

正直、この映画でスコセッシを見直した。

 

ただ、キリシタンの歴史を知らない海外の人が観たら

理解できない、あるいは、誤解してしまいそうなところもちょっとあった。

 

たとえば、サン=フェリペ号事件やリーフデ号事件を初めとする

諸々の事件については少し説明しないと、

海外の人には「四人の側室」のたとえはピンとこないんじゃないかな。

 

あと、「石女(うまずめ)」のたとえは現代の映画に盛り込んで大丈夫かな?

と心配してしまった。

 

それと、イエズス会士ステファノ・ロドリゲスが牢屋で

潜伏キリシタンたちが唱えるオラショを聴く場面があったけど、

当時はまだ現在のカクレキリシタンに伝わっている形ほど

聖歌が土着化してなかったんじゃないかな。

もうちょっとオリジナルの聖歌に近い発音・メロディーにアレンジしてもよかったかも。

 

いちばん気になったのは、

キチジローが元気で性格悪いゴラムみたいに描かれていたところと、

イエズス会士ステファノ・ロドリゲスが終始露骨にキチジローを嫌っていたところかな。

 

キチジローは、自分が

「カトリックの教えを守りたくても守れない弱くて卑怯な人間」であることを

自覚していて、その弱さに苦しみ続けている…

 

いっぽう、自分の信仰心に疑問を持たず傲慢だったステファノ・ロドリゲスは、

そんなキチジローとの出会いや自分自身の苦境を通して初めて

「弱い人間にも寄り添ってくれる神の愛の深さ」を理解する…

 

っていうことが観客に伝わりやすい形に描いてほしかったなあ。

 

それにしても、この長大な小説と映画のことを思うにつけ、

『おぎん』を初めとする芥川龍之介の一連の「キリシタンもの」はあんなに短いのに、

ショートショートとして結末のどんでん返しが巧みなだけでなく

それぞれの話で提示されている問題についての考察が深くて、

芥川作品はやはり凄いなあと改めて感心してしまう。