お盆休みを利用して瀬戸内国際芸術祭2025に行ってきました。
今回まず訪れたのは高松の沖合約8km、全国に13施設ある国立ハンセン病療養所の一つで唯一の離島施設である国立療養所大島青松園のある大島です。
大島に渡る船は無料。
大島青松園入所者への健康配慮のため、船内はマスク着用、私語は控えるようにとのこと。
島内でも社会交流会館等の屋内ではマスク着用が必要とのことです。
大島に到着したら、ルールを守った上で自由に施設やアートを巡ることができますが、船の到着にあわせて行われるこえび隊による大島案内があるとのことで参加してみました。
この納骨堂から始まり、解剖台まで、30分ほどのツアーでしたが、ハンセン病や大島とここに暮らしてきた人々の歴史、そして現在について解説していただき、非常に勉強になりました。
社会交流会館内の展示や島内各施設の前に設置された案内板などでも学ぶことはできますが、芸術祭で大島に来られる際にはぜひとも参加されることをお勧めしたいです。
納骨堂から北側に伸びる小径にあるのはミニ八十八ヶ所めぐり。
島内にいてもお遍路ができるようにと設置されたそうです。
続いて案内されたのは、入所者の信仰にあわせて設けられた各種宗教施設。
教会では、大島に暮らした歌人、政石蒙さんとある一人の女性との心の絆を題材とした作品「os 15 山川冬樹 結ばれて当たり前なる夫婦なりしよ」が上映されているということで、あとで改めて鑑賞しました。
道路の説明も受けました。
島内の道路には真ん中に白線が引かれていますが、これはセンターラインではなく、盲動線と言って、視力の弱い入所者の歩行を助けるものなのだそうです。
さらに、ところどころ、道路脇には盲動柵が設けられており、スピーカーからは音楽も流れています。
宗教施設を見た後は、東海岸に下って、今は使われていない住居に展示されているアート作品の概要の説明を受け、最後に訪れたのは、立派なドーム状の建物の中に収められたこの解剖台。
解剖室の解体時に海に捨てられたものを2010年の芸術祭の開催前に引き揚げてここに展示しているそうです。
かつては入所時に、死後、遺体を解剖することへの同意が求めらたそうです。
納骨堂などもそうではありますが、大島の歴史を語る象徴的な遺物として、来島者に鮮烈な印象を与えます。
os11 鴻池朋子 リンデワンデルング
大島案内の終了、解散後は、各自自由に島内を見学。
まず、島の北端、森に囲まれたエリアにあるこちらの作品へ。
1933年に入所者らが自ら切り開いた「相愛の道」という周遊路を再興したものだそうです。
「リンデワンデルング」は瀬戸内海の景色を楽しみながら、ぐるりと一周できるのですが、今日は猛暑日であまりに暑かったので、入って数分、大島の全景がよく見える場所まで行って引き返してきました。
建物がずらっと並んでいますが、手前に並んでいるのは使われていない住居で、芸術祭のアート作品の展示会場になっています。
島の中心部より南側には現在も入所者が生活しており、立入禁止となっています。
島の向こう側に見える平らな山は屋島。
その左側にポコっと突き出た山があるのは庵治半島です。
「リンデワンデルング」の入口のそば、脇道を少し入ったところには、国立ハンセン病療養所の中で、唯一現在も使われている火葬場があり、その奥には「風の舞」というモニュメントがありました。
故郷を離れ、この島で生涯を終えることになった人々の魂が風に乗って解き放たれることを願って、1992年に入所者、職員、ボランティアの手によって庵治石を積み上げて作り上げたのだそうです。
os06 山川冬樹 歩みきたりて
「風の舞」を見た後は、東海岸のアート鑑賞。
戦時中大陸に出征し、戦後モンゴルに抑留され、そこでハンセン病が発覚して大島青松園に入所した歌人、政石蒙さんの足跡をたどるインスタレーションです。
手前の部屋には遺品、奥の部屋には映像作品がありました。
教会の作品と合わせて、政石蒙さんの人生は印象深かったです。
os07 山川冬樹 海峡の歌/Strait Songs
こちらは、かつて自由を求めて大島から対岸2kmにある庵治へと泳いで渡ろうとした入所者が後を絶たなかったという話に着想を得たインスタレーション。
東海岸から見える2つの島は鎧島(右)と兜島(左)。
兜島は屋島の戦いに敗れた平家軍が兜を置いていったことから名付けられたのだとか。
os04 やさしい美術プロジェクト 稀有の触手
藍色に染められた部屋に入所者の写真。
他の瀬戸内の島々と同じように風光明媚な大島ですが、入所者にとってはこのように映っていたのでしょうか。
ただ、扉越しに覗ける一番奥の部屋は真っ白で、壁には庵治半島にある五剣山の写真が飾られています。
入所者にとっての自由への扉、希望の光を表現しているのでしょうか。
os03 田島征三 「Nさんの人生・大島七十年」-木製便器の部屋-
5つの部屋に渡ってNさんの人生が展開されるこの作品は大島の歴史を物語る作品としては最も強烈でした。
知らなかった、知ろうとしなかったことを自戒する田島征三さんのメッセージは、多くの鑑賞者にも刺さるものかと思います。
os02 田島征三 森の小径
こちらはうってかわって島の自然を生かしたお庭。
入所者にとっても癒しの散歩道になっているのでしょうか。
os01 田島征三 青空水族館
こちらも大島の素材を生かした作品が並ぶ、大島の歴史に基づきながらも、少し緩めの展示内容。
海藻を使ったこちらの作品がきれいでした。
os08-2 物語るテーブルランナーと指人形 in 大島青松園
os09 やさしい美術プロジェクト {つながりの家}カフェ・シヨル
社会交流会館には、「カフェ・シヨル」というスペースがあり、ここにもいくつかの作品が展示されていました。
テーブルランナーは入所者から聞き取った話をもとに描いた温かみがあり可愛らしい作品なのですが、よく見ると解剖台が描かれているなど、大島ならではのメッセージが込められています。
os08-1 鴻池朋子 リングワンデルング(映像15分50秒)
リングワンデルングの映像作品や資料も展示されていました。
社会交流会館には、大島の歴史資料の展示室もあり、芸術祭の期間外でも大島のことについて学ぶことができるようです。
船着き場の近くの松林の中にあった墓標の松。
屋島の戦いに敗れた平家軍は屋島にほど近い大島に墓を作ったそうで、このあたりの松の木の下からは実際に人骨や刀が掘り出されたのだとか。
os14 ニキータ・カダン 枝と杖(支えあうことのモニュメント)
最後は墓標の松のそばのこの作品を観て、アート巡りは終了。
大島はハンセン病の患者が隔離されてきた島ということは知っていましたが、実際に島に来て施設やアートを見たことにより、より具体的に学ぶことができました。
特に印象に残ったのは、この作品のテーマにもあるように、軽症の入所者たちは自活しており、入所者同士、あるいは職員も含めてコミュニティーを作り、支えあって生きてきたのだということ。
つらく苦しいことが多かった中でも、孤独でなかったことは救いなのかなと。
船着き場のそばにある島の奥に見える2つの島は、芸術祭の会場の男木島(右)と女木島(左)。
以前芸術祭で訪れたあちらの島々と大島は対照的でした。
他の島でも環境問題や過疎の問題など、様々な社会問題をテーマにした作品を観ることはありますが、大島ではアーティストも鑑賞者も重いテーマを正面から受け止めざるをえないため、島を巡る人々は口数少なく、その面持ちは巡礼者のよう。
私も大島に来るのは気が重く、なんとなく後回しにしてきたのですが、こういう機会でもないと訪れることはないだろうと改めて思い、遅ればせながら今回訪れるに至ったわけですが、本当に来てみてよかったです。
やはり、知っているのと知らないのでは、大きな違いがあるように思います。
一般的な観光では、なかなか訪れようとはならない大島。
そこに訪れやすい機会を提供してくれているのが瀬戸内国際芸術祭であり、そこに芸術祭の大きな意義を感じました。
芸術祭を機に、入所者とアーティスト、地元の人たちとの交流も生まれているそうなので、そういう意味も含めて、芸術には人を動かす力があるのだなと改めて思いました。
(2)へつづく...