槍ヶ岳開山 | Archive Redo Blog

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DBエンジニアのあれこれ備忘録

 

 

今日は山の日...いや、今年は8日に移動したんでした。

 

やはり、今年のお盆休みも夏山遠征は控えた方がいい状況になってしまいました。

(どっちみち、今週から来週にかけては、台風一過に秋雨前線停滞と、天候的にも恵まれないので、行かなかったでしょうが。)

 

ということで、山に行けない代わりに、山登りの本を読みました。

 

「槍ヶ岳開山」は江戸時代末期、北アルプスの笠ヶ岳を再興し、槍ヶ岳を開山した播隆上人を描いた新田次郎さんの小説です。

 

槍ヶ岳は、本格的に登山を楽しむ人にとっては憧れの山ですが、この山を開いたのが播隆だということを知っている人はそれほど多くはないのではないでしょうか。

 

播隆は山岳宗教とは関わりのない浄土宗の僧ですが、一心不乱に登山に打ち込むことで衆生済度を追い求めたり、笠ヶ岳山頂で目にしたブロッケン現象に阿弥陀如来の来迎を重ねるなど、登山に宗教的な意義を見出そうとしていたという点では、修験道などに相通じるものを感じます。


ただ、その登頂を、山頂を極め、仏像を安置するだけにとどめず、仏門に帰依するもののみならず、誰もがその頂に立つことができるよう、諸国を行脚して浄財を募り、途中、天保の大飢饉による中断もありながら、12年という歳月をかけて信者らと共に道を整備し、頂上を均し、綱を掛け、さらに鉄の鎖を掛けるというところまでを一大事業として成し遂げたところに、播隆の宗教者としての独自性があるように思います。

 

また、これは新田次郎さんの想いも含まれているのかもしれませんが、播隆が山に挑む姿勢には、近代登山の匂いも感じられるような気がしました。

 

播隆が槍ヶ岳に初登頂したのは1828年のこと。

 

日本の近代登山は、明治時代にウォルター・ウェストンら外国人登山者によって切り開かれ、その山行の記録が知られるようになったことをきっかけに、日本人にも急速に広がっていったとのことですが、その数十年前に槍ヶ岳を開いた播隆こそが近代登山の先駆けなのではないか、少なくとも笠ヶ岳、槍ヶ岳に関してはそう思います。


播隆らが切り開いた登山道の多くは失われており、鎖も仏像も当時のものは残っていないそうですが、上高地から横尾、槍沢を経て槍ヶ岳に至る登山道は現在も槍ヶ岳への主要ルートであり、途中には播隆らが利用した坊主岩小屋(播隆窟)もありますので、いつになるかはわかりませんが、槍ヶ岳に登るならば是非ともこのルートを利用したいと思います。