一茶~古径 | Archive Redo Blog

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DBエンジニアのあれこれ備忘録

 

長野から北陸道経由で帰る途中、信濃町にある一茶記念館がちょっと気になったので寄ってみました。

 

このあたりにはかつて北国街道の柏原宿があり、俳人小林一茶の故郷だったそうです。

 

一茶記念館では、一茶の生涯を追いながら、その作品や関連資料、家族関係、交友関係、一茶顕彰にかかわった人々などが紹介されています。

 

 

 

記念館の周囲には一茶の銅像と俳諧寺、

 

 

 

小林家の墓、

 

 

 

一茶や一茶に関わる人たちの句碑などが点在しています。

 

 

 

また、一茶記念館から少し離れた場所には、小林一茶旧宅がありました。

 

旧宅といっても土蔵です。

 

 

 

一茶は晩年、柏原宿で起こった大火によって家を焼かれ、その後は焼け残ったこの土蔵で暮らし、その生涯を閉じたそうです。

 

 

 

隣には大火の後に建てられたという一茶の弟の家も残されています。

 

一茶は、火事の他にも、継母や弟と長年遺産相続で争うなど、故郷での暮らしもなかなか大変だったようです。

 

小林一茶を初めて知ったのは国語の教科書だったと思いますが、作品や作風は覚えていても、その生涯や歴史上の立ち位置みたいなものは全く知らなかったので、勉強になりました。

 

意外なことに当時の俳諧では、今ほど高くは評価されていなかったようで、今日、芭蕉や蕪村などと並んで評価されるようになったのは、正岡子規が一茶を再評価したことによるところが大きいようです。

 

 

 

一茶記念館に寄った後は、上越市にある高田城に寄ってみました。

 

春日山城を越後統治の拠点としていた上杉景勝が会津に転封となった後、春日山城を廃し、福島城を経て、そのあとに築城されたのがこの高田城です。

 

 

高田城には、築城当初から天守閣がなく、また、周囲は石垣ではなく土塁になっています。

 

その理由は、築城当時、大阪の陣を控え、完成を急ぐ必要があったからだそうで、その結果、天下普請によりわずか4ヶ月で完成したのだそうです。

 

こちらの建物は、本丸の隅櫓にあたる三重櫓を復元したものです。

 

 

 

中は展示室になっており、三階は展望室になっています。

 

この日はあいにくの天気でご覧のとおりの眺望です...

 

 

 

高田城跡は高田公園として整備されており、春は桜、夏は蓮、秋は紅葉の名所とし親しまれているそうです。

 

 

 

 

高田公園内には、三重櫓の他に、小林古径邸がありました。

 

日本画家小林古径の東京の馬込にあった本邸を移築したもので、建築家吉田五十八が設計した初期の作品で、近代数寄屋造りのとても貴重な建物だそうです。

 

 

 

そのそばには本邸の隣にあったという画室も移築されており、こちらでは絵の道具やいくつかの作品も展示されていましたが、人物の輪郭などの線が美しく、やわらかく透明感のある色づかいの絵はとても印象的でした。

 

小林古径邸のそばには小林古径記念美術館もあるそうですが、現在リニューアルのため長期休館とのことでした。

 

美術館が開いていれば、もっといろいろな作品を観れたのでしょうね。

 

また、機会があれば訪れてみたいと思います。

 

 

というわけで、たまたまですが、雨の帰り道、小林一茶と小林古径という二人のアーティストに触れられたことは思わぬ収穫でした。