音楽の聴き方―聴く型と趣味を語る言葉 (中公新書)/岡田 暁生- ¥819
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音楽というのは、心地よいとか、美しいとか、かっこいいとか、元気になるとか、泣けるとか、共感できるとか、もっと端的に言うと好きか嫌いかという生理的な反応、感性でもって聴いていることが多いと思います。
しかし、「好き/嫌い」、「よかった/わるかった」とは言えるものの、それ以上に深く音楽を語るのは思いのほか難しいものです。
そこで、もう少し自分の聴き方とか聴く型というものに自覚的になってみよう。
そうすることによって音楽をより深い言葉で語ることができるようになり、世界が広がって見えるようになるのではないか、と提案しているのが本書です。
本書で主として取り上げられているのは西洋クラシック音楽です。
録音再生技術が発達し、発信するメディアが多様化した現代では、音楽は手軽に切り売りし、持ち運びできるようなものになり、雰囲気に気分に応じて、それにふさわしい曲やフレーズを当てはめていくというような聴き方が一般的になっています。
それはクラシック音楽についても例外ではなく、そういう聴き方、聴かされ方に慣れてしまった私たちが、交響曲をフルで聴いたりすると、聴き慣れた”あの”フレーズだけを期待するあまり、それ以外の長々と続く音楽の意味が理解できず、ひどく退屈に思えてしまったりするものです。
しかし、こうした音楽には、全体を通して言語的な意味や構造があり、そこには特定の歴史的文化的文脈の中で生み出されてきたという背景があります。
それゆえに、最初はよくわからなくとも、こうしたことを意識しながら理解しようと試みることによって、時代や文化の壁を越えて、徐々にその曲のよさを見出していく...そういう楽しみ方ができる音楽であると言えます。
そして、そうした聴き方をすることによって、知識や体験が自分の中に蓄積され、引き出しが増え、語る言葉が増え、音楽の世界は広がっていくというわけです。
おおざっぱにいえばそういうお話なのですが、様々な音楽や文献からの引用を交えながら、音楽の聴き方について深く探求し、一つの道筋を示そうとするその内容は、非常に示唆に富んでいて勉強になります。
特に意識をしていたわけではありませんが、私も振り返ってみれば、少なからずそういう音楽の聴き方をしているなと感じることがあります。
例えば、この本でも取り上げられているセロニアス・モンク。
まだジャズを聴き始めて間もないころ、たどたどしいタッチで不協和音を連発するその音楽がどうにも耐えがたく苦手でしたが、ジャズを聴き込むにつれて、それが味わいとして楽しめるようになってきました。
これはまさに知識や体験の積み重ねによって、楽しめる音楽の幅が広がったということにほかなりません。
最近、聴きだしたクラシックでは、マーラーやブルックナーが長くて退屈という印象しか持てず苦手意識があります。
同じ理屈で言えば、これらもそのうち理解できるようになるということになりますが、果たして...