最近、よく日本語がおかしいというようなことを耳にします。
特に若者の言葉を指して言われることが多いようですが、必ずしも若者に限った話でもありません。
そんなおかしな日本語の中でも、私がここ数年ずっと気になっている変な日本語は「よろしかったでしょうか?」という言葉です。
何年か前、北海道のルスツリゾート というところにスキーに行ったとき、ホテルの従業員が揃いも揃ってこちらの要望や注文を確認するのに「~でよろしかったでしょうか?」という言葉を使っていたのが、妙に気になったんです。
例えば、レストランで料理を注文したとき、 「ご注文は以上でよろしかったでしょうか?」 という言い方をするのです。
なんで過去形なん?
「ご注文は以上でよろしいでしょうか?」 のほうがしっくりくるのですが...
一緒に行った友人たちもみんな違和感を持ったらしく、みんなで「なんか変よなぁ。」なんて言いながら盛り上がっていたのですが、これは正しい表現なのでしょうか?
最近、「問題な日本語―どこがおかしい?何がおかしい?」 という本を読んだのですが、その中でこの「よろしかったでしょうか?」が取り上げられていました。
それによると、
「よろしいでしょうか?」は現在のことについての現在における評価を表し、「よろしかったでしょうか?」は過去のことについての現在における評価を表す、つまり、問われている事象が過去のことと見なすことできれば「よろしかった」という表現は許される。
と結論付けられていました。
”過去のこととしてみなす”か...
例えば、予約してからレストランに行って「お料理は○○コースでよろしかったでしょうか?」と聞かれた場合、予約時点(過去)の注文の確認だから違和感はないでしょう。
しかし、その場で注文をして、その直後に「ご注文は以上でよろしかったでしょうか?」と聞かれた場合、確かに注文は終わっているので過去のことと見なすこともできますが、まだ確定していない注文だから現在進行中のことと見なすこともできます。
ミクロ的には過去、マクロ的には現在というところでしょうか。
だから、問われる側が現在進行中のことだという感覚を持っていれば、違和感を持つということになります。
私の場合、確定していない注文だから現在のこと、データベース的に言うとコミットしていない現在実行中のトランザクションということだという感覚が強いので、違和感を持ってしまうということなのでしょう。
それと、この本では触れられていないですが、私はこの「よろしかったでしょうか?」という言葉から、”自信がない”、”不安だ”といったニュアンスも感じてしまうのですが、一般的にはどうなのでしょう?
「ちゃんと聞いてなかったのか? 今言ったところなのに?」と不快感を持ってしまうのですが。
ということで、この「よろしかったでしょうか?」という言葉についてはまだモヤモヤが残っているのですが、この本では他にもいろいろな日本語を取り上げて、それが正しい表現なのか誤用なのか、誤用であった場合、なぜそのような表現が生まれたのかなど、いろいろな考察をしていて面白いです。
「このブログの書き方も注意したほうがいいかな?」と考えさせられるようなこともチラホラ^^;
このように多くの言葉を本の中に凝縮されると、日本語というものが非常に”揺れ”の大きな言語であるということがよくわかります。
しかも、時代とともにどんどん変化していきます。
世代や立場による感覚の違いを考慮し、相手に誤解や不快感を与えないよう言葉に気をつけつつも、こういった”揺れ”や”変化”を楽しむ余裕は持ちたいものです。