みなさんは電車に乗ったときは、たまにでも車窓から見える景色をボォ~~~~~っと眺めたことってありませんか?
今回、新幹線で東京から大阪に向かうときも途中約1時間ほど車窓から見える景色を眺めてました。そして、普段電車に乗っているときにおもうことが新幹線に乗っているときにもよぎりました。正確にはより確信に近づいたのかもしれません。

それは、
車窓から見える景色を形づくる建物のほとんどは地元の工務店や不動産屋が建てた木造住宅や鉄筋コンクリートのマンションであって、決して建築雑誌に載ってるような建築家が設計するコンクリート製の戸建住宅やアルミ住宅、あるいはルーバーやパンチングメタルといった目新しい素材を使った建物が景色になってはいない、
ということです。

「景色を見てそんなこと考えないよっ!」って意見が聞こえてきそうですが、建築学生だからこんなこと考えちゃうのです。

これはどういうことか?つまり、普段なんとなく感じている建築側の論理と一般の論理のズレがそのまま景色となってあらわれているのではないか?ということです。

建築をかじった人なら察しているかもしれないけど、建築側の人間はやれプログラムだの、やれ形態だの、やれ新しい空間だのいろいろこねくりまわすし、実際学校でもそういう教育を受けています。しかし、現実に立っている建築は工務店や不動産屋によってある程度プランがカタログ化された中から組み合わせたものが大量に流通しているのです。

そうすると、建築を学ぶ者としては途方にくれて脱力感に覆われることがあるのです。果たしてこれまでのように建築を考えていってよいのだろうか、と。

だからと言って、現実に展開されている論理に身を任せるもの消費者に特化してしまうようで味気ない。逆に建築側でも現実でもない何か違う論理を見つけられないか?それが、建築側が現実から乖離してしまうのでもなく、建築の面白さが現実に浸透していく手段になりえないか?

そんなことを今回車窓から見える景色を眺めながらおもったのでした。