10月4日(日)、京都府立府民ホール「アルティ」行われた大阪H.シュッツ室内合唱団京都公演[邦人合唱曲シリーズ Vol.25]が好評をもって終えることができました。演奏曲目は

■柴田南雄〈柳田国男「遠野遠音」、および東北民謡による〉「遠野遠音」

■千原英喜〈混声合唱とピアノのための〉「レクイエム〜光の中の貨物列車よ」

■寺嶋陸也〈無伴奏混声合唱のための〉「魔のひととき」

全3ステージ、それぞれ異なった世界を展開できたのではないかと思います。

会場には作曲家の千原英喜氏、寺嶋陸也氏にもお越し頂いての演奏でした。

 

さて、演奏にあたっては感染予防対策としてOCM指針と京都府立府民ホール「アルティ」の指針を適応しての実施です。

「換気」の徹底、人との「距離」、そして「マスク」。この三つが重要が考えます。

「換気」に関してはホール側の対応がしっかりと、十分に成されていて頼もしく思いました。

人との距離(ソーシャル‐ディスタンス)はホール側が徹底していたのが好感です。ただ、マスク着用とも関連するのですが、「OCM指針」との距離間の考えが少し異なります。マスク着用は「密」の問題よりその重要性は軽くなるとの私の判断(その際、換気がとても大切なのですが!)、つまり換気ということが徹底されていれば絶対着用でなくても良いとの見解です。

柴田作品ではシアターピースとしての演奏。客席まで降りて行き、取り囲むようにして演奏します。

結果としてはホール側の指針に沿って十分な距離とマスク着用での歌唱としました。

 

客席数です。直前の席数緩和の知らせもありましたが、演出との兼ね合いもあり、ホールを借りるときの最初の条件であった席数を半数とする公演。お客様の中には「これでは会計的に大変ですね」との労いのお声。担当者は「そうなんです!」とためらいがちに対応したようです。

いま、終えてみれば例年のようにもっと沢山の方々に聴いて頂きたかったと思うばかりです。

 

客席数を減らしての演奏。〈痛し痒(かゆ)し〉の思いです。

 

寺嶋陸也氏には演奏後の食事会にも参加頂きました。そこでの話はとても興味あるものでした。

東京ではコンサート開催の難しさに加え、練習場の確保がとても困難。大手の練習場を持っている団体では独自の指針によって行うことができるのですが、一般の小さな団にとっては(この規模の団がとても多いです)団存続に関わる大問題になっているとお話しになる。言われてみれば私の東京の合唱団(「東京コレギウム・ムジクム合唱団」)も四苦八苦で練習会場確保に奔走しています。大阪に比べて、いや、私の団に比べれば本当に苦労されていると心痛みます。

氏との話は「戦争と平和」のことにも及び、芸術家として、また一人の国民としてどのどの様に表現して行くか、冗談も交えながら笑みを交わしながらの歓談となりました。「私の姿勢は、〈政治的メーセージではなく人間としての尊厳と自由〉を基に発することです」と言い切ったのですが、それは自分自身に対する戒めと誓約でもありました。作曲家とそんな話をするのは珍しいです。寺嶋陸也氏ならではの温厚、知的な人柄によってそんなことも言える雰囲気であったことが心地良かったです。

二人ともワインが進みました。

 

(八重山毎日新聞社コラム原稿に加筆・修正して転載)

 

 

「新型コロナウイルス」対策

 時が経つのは早いです。このブログを立ち上げたときはあれも、これも書かねば、書きたいとの思いの勢いが強くて考えを巡らせて喜びを得ていたのですが、あれから演奏会シーズンを迎えようと練習が始まった途端動きが止まりました。本当にあっという間の日が経過しました。

 その日々の間、「新型コロナウイルス」対応がいつも頭にこびりつきます。何が一体必要で、何にあまりとらわれなくても良いのか? 様々に異なった専門家の言う意見を聞きながら、読みながら、私自身が納得した事柄を徹底的に施しての活動。そちらの方に力を注ぎました。

 「新型コロナウィルス」対応についてまとまったことがあります。それはまだまだ証明されたとは言えない問題も含まれているのですが……。

 

1)多くの人が狭い所に集まり過ぎないように。(「密」にならない!)

 

2)集まる場所を選んでソーシャルディスタンス(人との接触距離)を取る。

 

3)マスク着用は二次的。人が多くなく換気も良ければ着用しなくても良い

 

4)【換気(外気と内気の交換)】が最も大切な条件。

 

ソーシャルディスタンス、マスク着脱に関する良い環境とは?

山間や海辺、公園など、広い屋外で密集がなく過ごせる場所ならばマスクは不必要。

町中でも上と同じ環境に近ければ同じようにマスクは不必要。

(屋外歩行も必要なし)

屋内では、その広さと密度のバランスを判断することが大切。

(特に、そこでの換気が整えられてるかそうでないかが鍵)

*例:部屋で換気が成され、一人ならばマスクは必要なし。この条件を基に人の数、部屋の広さによって着脱を自己判断。最近では「新型コロナウィルス」は空気感染は無し(気にしなくても良い)とされます。

以上ですね。

 

これらを原則として各自が柔軟で、融通のきいた対応〈フレキシブル〉で実行する!これで大丈夫です。

それにしても人類にとって大きな試練。

それを「新型コロナウイルス」が運んできました。

 

さてもう一つ、気が重い個人的な思いが行動を阻んでいました。

昨今の政治状況やそれに伴う人の思考の変化。

それらについて私が少数派の意見に属するようだ、ということ。

世の中の動向と私の思い、行動がどうも一般と異なっている。それが悩みを深めている、小学校高学年の頃からの悩みです。

しかし、「世の中は[七]対[三]で成り立っている。多数決の論理では[三]は不利。でもこの[三]が歴史的に世界を変えてきたとのデーターがある。[三]が力を発揮すれば世の中は変わる。[七]が世の中を作っているわけではない」との実感。

少し気が軽くなってきている。少数派は多数派の重みを身の上に担ぎ歩む。それは重く辛い。

でも人間っていつだって多数派がいて、少数派もいる。どちらの道を私は行こうとするのか?

気が付けば私は少数派の道を歩んでいた。これはもう諦めるしかない。

ならばいっそ少数派を極めてみようかと思う性格も私は持ち合わせているよう。

人生も先が見えてきた。最期に至る生命を「天命によって少数派」だと悟って生き抜こうと思う。

 

人間としての歴史も少しは見えてきた。未来も見える。私が生きた時代を後の人々がどのように位置付けるかとても楽しみになってきた。

生きることは楽しく、面白い!

宇宙に向けて誰かに叫びましょう。「天命を全うしましょう!」と。

伊豆湯ヶ島温泉「白雲楼」で行われた夏の綜合練習(Tomas-chor夏合宿〔8月12日(水)-16日(日)〕)は始まってから20日が経ち、最終日からは2週間を迎えました。

この期間での「新型コロナウィルス(COVID-19)」の感染者は無しとの報告で、今日の時点でこの行事は安全の内に終えたと判断し、報告させて頂きます。

 

合宿の実行は慎重に検討しました。あらゆる対策をとっての4泊5日の合唱練習です。お宿の協力無しには成し得なかったと思いますし、参加したメンバーも意識の高い行動で不安はありませんでした。それより音楽の楽しさを充分に味わうことのできた、そして人が集うこと、その核に大切な音楽があるのだとの再認識、これは全員が感じとったとても大きな収穫だったと思います。

 

COVID-19の猛威はまだ終わったわけではありません。今は、個人一人一人が感染しないよう、させないよう最善の注意をして実行するのみです。

感染予防のために何が必要なのか?どのような方法で行うべきなのか?この日本では益々混乱してきているように感じてなりません。

終息へと向かっているとの意見もあれば、まだまだ続いていると警鐘を鳴らす意見もあります。

感染して苦しみ、生命をも危惧させられるのは私たち自身です。自分も周りの何人(なにびと)も毎日が平穏に生活できるよう、これからも正しいと思う情報を収集しながら最善の対応策で活動を続けていきたいと思っています。

 

夏の綜合練習(Tomas-chor夏合宿〔8月12日(水)-16日(日)〕)の報告でした。