最期まで かあちゃんであり、おかあさんであり、ばーこであり続けた自慢の祖母の軌跡 -6ページ目

最期まで かあちゃんであり、おかあさんであり、ばーこであり続けた自慢の祖母の軌跡

私の祖母は 肺がんステージ4と診断されてから、5年半、生きました。笑い上戸で 愛に溢れる祖母が遺してくれた思い出たちを 綴ります。



人間ドックの胸部X線で
再検査。


それがきっかけで病院に行ったのが
最初だそうです。


1番最初に行った病院で
大きい病院に行った方がいいと紹介され
大きい病院で
高い確率でガンだと診断されました。


「ガン」
と言う言葉を聞き、
きっと信じたくなかった祖母は
違う病院に行きたいと
大学病院へ すぐにセカンドオピニオン。


その時は、私の父と母とばーこ
3人だけ知っていました。


セカンドオピニオン先の大学病院で
詳しい検査の結果
肺がんステージ4と診断されました。


病院へは、母とばーこの2人で行き
帰りの車で
祖父、父、叔父に集まってもらうように
連絡をして
祖父、父、母、叔父に対して
ばーこが自ら
肺がんであることを伝えたそうです


そんなこと誰も信じたくない気持ちも
もちろんあって
祖父、叔父は 検査に行ったことも
知らなかったため
普段は見せませんが 涙を流していました。


泣きながら ひたすら謝っていた
ばーこのことを思い出して
この話を教えてくれた父も母も
涙目になっていました。



私はこの話を聞いた時、
知らない話がたくさんあり
ばーこのことを
また知れた嬉しさと

病気になったことを
泣いて謝るばーこの姿を
想像したときのばーこの不安や辛さ

また今知ったことへ
やるせなさ

全部に対して
泣きました。


我慢しても
涙は 溢れてしまうものです

なぜなら
ばーこが 本当に大切な人だから。


時間が解決してくれるなんて
綺麗ごとだと私は思います。

何年たっても
ずっと会いたい
触れたい
話したい
そこにいてくれるだけでいいから
姿を見せて欲しい

それが 叶わないのが
分かっているから
残された家族は 涙が出るんです



だから 時間がいくら過ぎ去っても
その気持ちが なくなるなんて
無理なんです。



このブログは
ばーことの思い出を
1つ残らず覚えておきたいという思いと

同じように
悲しい思いをした方々にも
私のような気持ちを持つことが
当たり前だということを 伝えたくて

書き始めました


このブログを書くたびに
涙を流しています。


続けられるところまで
続けたいと思います。