今日も遊びに来てくださってありがとうございまぁ~す
お手数お掛けしますがよろしく哀愁
友人に会いに長野に行った時お土産に持たせてくれたおちょこ・・・
頂いたお酒は事情がありまだ呑めないから大切に保存していておちょこだけでも使いたくてこんな使い方
お花は11月22日にオットから贈られたものの一部の残りです。
まだ愉しませてくれています。
お花の最期まで大切にします
リトルミィの水筒は白湯を作って入れてます。
長野から帰ってから白湯をちびちびと飲んでいます。
先々週の土曜日のお客様と日曜日のお客様とおんなじことを仰って、しかもヨガの最中に気付いて「シンクロ~」と思ったのでシェアさせていただきますねー。
どちらのお客様にも「どんなパートナーが理想ですか?」という聞いてみると「一緒にいて安心できる人」「ホッとする人」でした。
激しく同意
私もそんな人を探してきましたもんね。
私は唯一無二の見返りのない愛情を注いでくれる母親からは精神的虐待をされ、娘にとって初めての異性で頼れる存在であるはずの父親からは殴られ蹴られと暴力をされ幼少期を育ってきました。
両親から「いらない子供」としてゴミのように扱われてきました。
わやくちゃな家庭で育ったのよー、私は。
詳細はこちらね。
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そのため、親から受けられなかった「愛情」を付き合う人付き合う人に求め、そのたびに「違う」と落胆し、結婚すれば前夫やオットに求め「違う」と落胆し、その堂々巡りで痛い目にあってきました。
そりゃそーなりますよね。
親が子供に注ぐ愛情って無償で唯一無二なんだから恋愛の好きとは性質が違うんだからさー。
昔はそれすらも理解出来ずでした。
私が人とのコミニュケーションが上手くいかなかった原因でもあったと思います。
いろんなことを独学してきて「安心」「心地良さ」「ホッとする安らぎ」も外側に求めるものでなく自分の内側に常にあるものだと今はわかります。
ヨガをやっていて思ったのがアーサナ(ポーズ)も「これはこうだから」と自分の足は伸びないのに周りに合わせ痛いのを我慢して伸ばし苦痛なだけになったり筋痛めたりしてしまう。
もはやヨガでなく我慢大会。
人それぞれ、身体の柔らかさも違う、筋力や関節の動きも違う。
人と違っていてもいい、
人と違っていて当たり前、
きちんとしたアーサナでなくていい、
自分の心地良さ、安らぎを自分の身体で探してそこに落ち着けばいい。
みんな同じではないのです。
ちょぴっと被ること書いてる。
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それよりも内側に目を向け、外側でなにが起ころうが自分で自分の「ホッとする」「心地良さ」「安心」を見つけてそこに自分を置いてあげることが重要。
そこからズレたらまたそこに戻す、を繰り返す。
日々練習、日々訓練です。
そうやって自分で自分を「ホッとする」「心地良さ」「安心」に置いてあげる。
「安心できてホッとできる人といるからそうなれる自分」より「いつでもそうなれる自分」に自分でなるのです
そうなると外側に求めなくなるよねー。
自分で自分をそう扱えるようになれるとそのような人とちゃんと出会えますから
そんな人と共に生きられればSO HAPPY~
外側に求めなくても、
ぜーんぶ内側にあるんだよー。
意識向けてねー
*ちなみに「安心」「ホッとする」「心地良さ」ってどーゆーことか覚えていますか?
お茶会やセッションでさんざんお話ししてますし、ブログにも書いてきてますよ