8年目
「なにも変わらない、ということは決して良いことじゃない」
7年目を語り終え、今に至る薄っぺらい道筋を話し終えた所で記者は帰った。そうして、俺は再びアマガエルと向き直った。
俺の知る「solitude」の作家のことを教えてくれたアマガエルが俺の前に現れたのは、まさしく記憶が無かった時の話なのだが、このアマガエルは相変わらず俺の記憶が戻ってからも定期的にやってくる。
「少年が、お嬢さんにポエムを書き続ける限り、俺はきっと少年の目の前に現れるだろうよ」とか言ってたけど、本当にそうなら実にウザイかもしれない。
ともあれ、
俺の言葉に伯爵は(驚くべきことに、この喋るアマガエルは)、どこか演技じみた仕草で厳かに頷いた。「少年が良くないと思うのなら、それは良くないことなんだろうなぁ」なんてどこか投げやりな言葉までつけられて。
「あの時は」
そして、本音を言えば今も。
「なにかを変えたいとさえ思わなかった」
今は、なにかを変えないことが“良いこと”ではないと。良いことではないとは、考えている。
「彼女のためにポエムを作り続けているだけで俺は幸せなのに、どうしてそれ以上を求める必要があるのかわからないしな」
身の丈にあわない幸福は身を滅ぼす。宝くじを当てたり、ものすごい美人と結婚したり。充分に幸せなのに、これ以上を求めたら、きっとそれは俺の身を滅ぼしたはずだ。
アマガエルはなんとはなしに見ていたのだろう俺のポエム(5冊目だ)をその短い足で器用にめくりながらゲコゲコ笑う。
「AMAPグルタミン受容体?よくわからないけど、少年が幸せなら、それは“良いこと”なんだろうな」
変わらないことは良くないこと。
幸せなことは良いこと。
そのどちらにもいる。境界線上に立っている俺は結局どうしたらいいのか。その問いだけは未だにわからない。実は、あんまり真面目に考えても居ない。
9年目
事故にあったらしい。特にこの頃の記憶はあいまいだ。
ひどく頭をうったらしい。自分の名前も忘れるほどだ。。
自分の名前も忘れた。彼女の名前も忘れた。だけど、「君」を好きなことだけは覚えていた。
「君、が誰かは全くわからなかったんだけどな」
皮肉を含んだニュアンスにアマガエルはどこか心外そうに(アマガエルだからか、両生類だからか、このアマガエル伯爵は表情から感情が読みづらい。まるでなにかをぼかすように「どこか」という表現が欠かせない)、
ゲコゲコと嗤う。嗤って「少年は、自分自身の優先順位が低すぎるんだよ」っていうから、俺はどこかばつが悪い。俺のプライオリティはどこまでも彼女がトップなのだから。言われたって直せない。直すつもりもない。
10年目
11年目
「君を探すことだけが、当時の俺の生きる意思だったな」
正直、あの頃のことはあまり思い出したくない。いや、「記憶を失った俺」というものが事故にあったときから生まれたというのなら、俺の「生きた記憶」というものは結局ここから始まるわけだし、忘れることなんてできようはずもない。
彼女を求める言葉ばかりを綴っていた。余談だが、この時に書いていたポエム――――「これはポエムというか、ラブレターじゃないのかい?」と、7冊目のポエム集を読みながらアマガエルがニヤニヤしている――は、
それはそれで、俺の新境地にして原点、独創性を削った純粋なポエムとして出版されている。まさに、今アマガエルが読んでいる7冊目だ。可能であれば、いますぐ全て回収して、まとめて焚書したい。
「そうは言うがね、少年。これはなかなか傑作だよ」とはアマガエルの言。どういう意味かじっくり話し合いたいところだ、が。
「そもそも、名前も顔も、なにより――――まぁ、そんな人を探せる奴はいないよな」
たくさんの人がお見舞いに来てくれた。毎日毎日、誰かがそばにいてくれた。でも、どこにも君がいなかった。
そんな俺の言葉に、誰も返事をくれなかった。
12年目
13年目
ゲコ、とアマガエルが音をもらす。
14年目
「伯爵、あんがい無粋だな」
送り続けて15年
返事はまだ来ない
返事はまだ来ない
毎日毎日欠かさず書いた
執拗に切手を舐めた
君に届け僕の
家が燃えても気づかぬ程
服が下から燃えていき
気づけば襟しか残ってない
もはや文学の域に達した
mixiの日記で公開した
マイミクがカンストした
社会問題にまで発展した
ポエム集の出版が決まった
僕はサラリーマンを辞めた
送り続けて15年
返事はまだ来ない
返事はまだ来ない
F1層に特にうけた
だけど僕は一途だから
他の子はひじきが生えた大根に見える
すでにポエムは2千を超えた
折れたことがない骨がない
壊してない内臓がない
今日は君を何に例えよう
エクストリーム・アイロンがけかな
複素内積空間かな
今日は君を何に例えよう
幕下16枚目の全勝優勝かな
AMPA型グルタミン受容体かな
送り続けて15年
返事はまだ来ない
返事はまだ来ない
ひどく頭を打ったらしい
自分の名前も忘れた僕だったが
君が好きな事だけは覚えてた
記憶は戻って来なかった
それでも君が好きだった
ただただ返事が欲しかった
記憶は戻って来なかった
まだまだ君が好きだった
それしか持っていなかった
毎日が怖くて不安で
君を一目見たかった
君に一言言いたかった
全部思い出して泣き出した
僕は思い出してしまった
15年前君が死んだことを
重ねていけばいつか届くかな
君のだった部屋に
毎日放り込んだ
君がもう見えなくたって
愛し続けてやるんだ でも
また会えると思ったよ
君はまたいなくなった
送り続けて16年
返事はまだ来ない
返事はまだ来ない