【雨蛙】続・粘着系男子の15年ネチネチ(続々solitude) | 水溜まりに映る月

水溜まりに映る月

水溜まりに映った幻に手を延ばしても掴めない。

ただ、その光を感じることも、綺麗だと思うこともできる。


8年目


「なにも変わらない、ということは決して良いことじゃない」


 7年目を語り終え、今に至る薄っぺらい道筋を話し終えた所で記者は帰った。そうして、俺は再びアマガエルと向き直った。


 俺の知る「solitude」の作家のことを教えてくれたアマガエルが俺の前に現れたのは、まさしく記憶が無かった時の話なのだが、このアマガエルは相変わらず俺の記憶が戻ってからも定期的にやってくる。


「少年が、お嬢さんにポエムを書き続ける限り、俺はきっと少年の目の前に現れるだろうよ」とか言ってたけど、本当にそうなら実にウザイかもしれない。


 ともあれ、


 俺の言葉に伯爵は(驚くべきことに、この喋るアマガエルは)、どこか演技じみた仕草で厳かに頷いた。「少年が良くないと思うのなら、それは良くないことなんだろうなぁ」なんてどこか投げやりな言葉までつけられて。


「あの時は」


 そして、本音を言えば今も。


「なにかを変えたいとさえ思わなかった」


 今は、なにかを変えないことが“良いこと”ではないと。良いことではないとは、考えている。


「彼女のためにポエムを作り続けているだけで俺は幸せなのに、どうしてそれ以上を求める必要があるのかわからないしな」


 身の丈にあわない幸福は身を滅ぼす。宝くじを当てたり、ものすごい美人と結婚したり。充分に幸せなのに、これ以上を求めたら、きっとそれは俺の身を滅ぼしたはずだ。


 アマガエルはなんとはなしに見ていたのだろう俺のポエム(5冊目だ)をその短い足で器用にめくりながらゲコゲコ笑う。


「AMAPグルタミン受容体?よくわからないけど、少年が幸せなら、それは“良いこと”なんだろうな」



 変わらないことは良くないこと。


 幸せなことは良いこと。


 そのどちらにもいる。境界線上に立っている俺は結局どうしたらいいのか。その問いだけは未だにわからない。実は、あんまり真面目に考えても居ない。




9年目


 事故にあったらしい。特にこの頃の記憶はあいまいだ。


 ひどく頭をうったらしい。自分の名前も忘れるほどだ。。


 自分の名前も忘れた。彼女の名前も忘れた。だけど、「君」を好きなことだけは覚えていた。


「君、が誰かは全くわからなかったんだけどな」


 皮肉を含んだニュアンスにアマガエルはどこか心外そうに(アマガエルだからか、両生類だからか、このアマガエル伯爵は表情から感情が読みづらい。まるでなにかをぼかすように「どこか」という表現が欠かせない)、


 ゲコゲコと嗤う。嗤って「少年は、自分自身の優先順位が低すぎるんだよ」っていうから、俺はどこかばつが悪い。俺のプライオリティはどこまでも彼女がトップなのだから。言われたって直せない。直すつもりもない。



10年目

11年目


「君を探すことだけが、当時の俺の生きる意思だったな」


 正直、あの頃のことはあまり思い出したくない。いや、「記憶を失った俺」というものが事故にあったときから生まれたというのなら、俺の「生きた記憶」というものは結局ここから始まるわけだし、忘れることなんてできようはずもない。


 彼女を求める言葉ばかりを綴っていた。余談だが、この時に書いていたポエム――――「これはポエムというか、ラブレターじゃないのかい?」と、7冊目のポエム集を読みながらアマガエルがニヤニヤしている――は、


 それはそれで、俺の新境地にして原点、独創性を削った純粋なポエムとして出版されている。まさに、今アマガエルが読んでいる7冊目だ。可能であれば、いますぐ全て回収して、まとめて焚書したい。


「そうは言うがね、少年。これはなかなか傑作だよ」とはアマガエルの言。どういう意味かじっくり話し合いたいところだ、が。


「そもそも、名前も顔も、なにより――――まぁ、そんな人を探せる奴はいないよな」


 たくさんの人がお見舞いに来てくれた。毎日毎日、誰かがそばにいてくれた。でも、どこにも君がいなかった。


 そんな俺の言葉に、誰も返事をくれなかった。



12年目

13年目


 ゲコ、とアマガエルが音をもらす。


14年目

 毎日、朝一人きりで目を醒ますのが怖かった。夜一人で寝るのが怖かった。誰かが一緒にいるのは関係なく、それは心の問題だというのは記憶がない俺にだってわかる。

 喘ぐように漏れでる言葉を書き留め、それを否定するように言葉を綴った。綴った言葉を補強するように言葉を重ね、重ねた言葉は空虚に俺を刺激する。重ねた言葉こそ毒になった。

 何度も何度も重ねた言葉は、何度も何度も重ねすぎたせいで言葉の輪郭をなくし、黒く塗りつぶされただけのものになる。

 それをどんな“言葉”で表そう。

 不安だった。真っ黒く塗りつぶされたそれを俺は高い場所から俯瞰する。高い所から見たたくさんの君への愛情は、ただ不安という言葉を形作っていた。

 心のバランスが保てない。本当に「君」がいるのか疑いさえした。でも、そんな感情も心も、体が裏切った。体は心に支配されるけど、心さえ気づかない何かを体は覚えている。

 抱きしめた彼女の感触も、ぬくもりも、覚えていた。目を閉じれば笑っている誰かがまぶたに焼き付いている。心地よい残響は耳をかすめた。

 君に一目だけでも会いたかった。

 一言だけでも言いたかった。



15年目


 朝だった。昼だった。夜だった。実は覚えていない。

 それは酷く唐突に俺に訪れて、俺は言葉もなく――人は本当に絶望した時に、何もできなくなるらしいことを初めて俺はこの時知った。考えることも、喋ることも、泣くことさえ咄嗟にはできない――、ただただ立ちつくした。

 どれだけそうしたかはわからないけど、頭が現実を受け入れて――つまりは、絶望が薄れて――から、ようやく俺は「泣こうかな」なんて思えて、

 それからゆっくりと、でも長く泣いた。記憶をなくしてからの6年分の涙だったし、それ以前からの涙だったし、記憶を失って、それから思い出すことでようやく俺はその事実を受け入れることができたのだろう。

 彼女が15年前に死んでいたことを。


16年目

「それで、どうして未だにポエムを書き続けているんだい?君はもう、彼女が死んだことを受け入れているのだろう?だったら、もうポエムを書き続ける必要もないじゃないか」

 そんな伯爵の言葉に男は首をかしげた。言葉は理解できるが、意味が理解できない、とでも言うように。

「伯爵、あんがい無粋だな」

 男の言葉に、伯爵は長い舌を地面に垂らした。言葉を連ねるよりも、態度で現したほうが早い。そういうかのような態度だ。

 しょうがなく、という体で男も言葉を重ねる。

「俺は彼女が死んだことを受け入れたけど、彼女のことを好きなのは別に変わってないんだぜ?」

 結局、男は今日もポエムを書いていた。返事は一生来ることはないだろうと理解しながら。



?年目

 既に何十年と付き合いのある担当が疲れたように息を漏らして男を見た。男が最後に出すエッセイの後書きの内容を詰めているところだ。

 とはいえ、男も、担当も慣れたもの。茶飲み友達の老人が縁側でお茶をすすりながら雑談するような、そんな気楽さがそこにはあった。

「結局、どうしてあなたはそこまで彼女を思っていながら、みずからの命を絶とうと思わなかったのですか?」

 担当のそんな問いかけは初めてだった。担当も理解していただろう。男がそのことに気がついていなくて、その言葉を契機に自殺してしまうかもしれない可能性があることを。

 今だから、最後だから聞ける。内容的には重いが、しかし年月は重ささえも風化させる。そのまま風に溶けてもおかしくない。そんなしぜんな気安さが質問にはにじんでいた。

「あるいは、」

 男もなんとはなしに口を開く。明日死ぬような体ではないが、いつお迎えが来てもおかしくない年齢ではある。別に、墓場までもっていくような秘密なんてどこにもない。

「記憶を失っていなければ、そんな道もあったのかもしれない」

 小さくかすれるようなその言葉は、しかし同じくらいその可能性の小ささを象徴しているかのようでもあった。老人と言ってさしつかえない男の顔に後悔も逡巡も無かったからだ。

「ただ、俺は一度記憶を失った。完全に記憶を失った。その時に一回死んでるんだよ。俺は。にも関わらず、俺は彼女に会うことができなかった。それどころか、彼女のことを忘れて一人で不安に震えていただけだ」

 つまりは、と、

「死んだって彼女に会えないのなら、死んで一人になるよりも死なないで彼女のために言葉を紡いで、綴って、連ねる方が何倍も俺は幸せだってことだなぁ」

 だから、と、

「この年齢になって。今度は寿命が死ぬのが怖いよ、俺は」

 そんな誰でも感じるような不安を口にして男はクツクツと笑う。担当もどこか得心して小さな笑みを浮かべた。



君への愛を綴ったポエムを
送り続けて15年
返事はまだ来ない
返事はまだ来ない


1年目はがむしゃらだった
毎日毎日欠かさず書いた
執拗に切手を舐めた
君に届け僕の 唾液 (ココロ)

2年目もがむしゃらだった
家が燃えても気づかぬ程
服が下から燃えていき
気づけば襟しか残ってない

3年目にはこなれてきた
もはや文学の域に達した
mixiの日記で公開した
マイミクがカンストした

4年目に雑誌に投稿した
社会問題にまで発展した
ポエム集の出版が決まった
僕はサラリーマンを辞めた

君への愛を綴ったポエムを
送り続けて15年
返事はまだ来ない
返事はまだ来ない



5年目にはプロポエマーだ
F1層に特にうけた
だけど僕は一途だから
他の子はひじきが生えた大根に見える

6年目に体を壊した
すでにポエムは2千を超えた
折れたことがない骨がない
壊してない内臓がない

7年目に完調した
今日は君を何に例えよう
エクストリーム・アイロンがけかな
複素内積空間かな

8年目も僕は変わらない
今日は君を何に例えよう
幕下16枚目の全勝優勝かな
AMPA型グルタミン受容体かな

君への愛を綴ったポエムを
送り続けて15年
返事はまだ来ない
返事はまだ来ない

9年目僕は事故にあった
ひどく頭を打ったらしい
自分の名前も忘れた僕だったが
君が好きな事だけは覚えてた



10年目も11年目も
記憶は戻って来なかった
それでも君が好きだった
ただただ返事が欲しかった

12年目も13年目も
記憶は戻って来なかった
まだまだ君が好きだった
それしか持っていなかった

14年目にもまだ戻らない
毎日が怖くて不安で
君を一目見たかった
君に一言言いたかった

15年目に記憶が戻った
全部思い出して泣き出した
僕は思い出してしまった
15年前君が死んだことを


君への愛を綴ったポエムを
重ねていけばいつか届くかな
君のだった部屋に
毎日放り込んだ
君がもう見えなくたって
愛し続けてやるんだ でも
また会えると思ったよ
君はまたいなくなった

君への愛を綴ったポエムを
送り続けて16年
返事はまだ来ない
返事はまだ来ない