日本に戻ってきて、そしてオナ禁を続ける中で、私の中で**「歯」に対する考え方**がガラリと変わった。
いや、正確には、これまでいかに自分の歯をないがしろにしてきたか、その事実にただただ打ちのめされている、といった方が正しいだろう。
今回、ついに歯科矯正を始めることになったのだが、その前準備としてクリーニングや治療を終わらせた。
アメリカに住んでいた頃は、歯医者に行くのが面倒だったし、何より保険が効かなかったから、数年に一度しか足を運ばなかった。
その結果、溜まりに溜まった歯石、軽度とはいえ進行していた虫歯や歯周病。
よくもまあ、これほどまでに自分の歯を酷使し、痛めつけてきたものだと呆れる。
もっとひどいトラブルになってもおかしくなかっただろうに、この程度で済んでいて、ある意味ラッキーだったと言えるかもしれない。
「イケメンじゃないから」は言い訳だった:顔は「神の社」
この歳になるまで、私の歯に対する意識は驚くほど低かった。
いや、それどころか、自分の「顔」そのものに対する意識が低かったのだ。
歯並びが悪いことは以前から気づいていたけれど、真剣に問題視することはなかった。
「もうオッサンだし、今さら高額をかけて矯正なんてする価値ないだろう」とさえ思っていた。
そんなある時、ネットで偶然見つけた誰かの記事に、私はハッとさせられた。その記事にはこう書かれていた。
「自分の顔は、神の社(やしろ)のように敬え」
顔は、他人の目に一番最初に飛び込んでくるものだ。
だからこそ、綺麗に整えておくことは、それは「礼儀」であると。
そしてそれは、「俺はブサ面だから」「私はブサイクだから」といった個人の容姿の問題ではないのだ、と。
神の化身としてこの世界に存在している自分と他者が交差する場で、他の神様(他人)が見る自分の姿は、常に綺麗にして敬うべきなのだ、と。
なるほど、そう考えればいいのか。
この言葉は、私の心の奥底に深く腑に落ちた。
これまで、自分の顔をまともに見ようとしなかった自分がいた。
客観的に自分の容姿を観察することもできなかった。
歯並びのことも含め、見て見ぬふりをしてきた自分がいたのだ。
自己肯定感が低いまま、年齢を重ねるごとに「容姿なんてもういいや」と、どんどん投げやりになっていっていた。
オナ禁が暴いた「歯の真実」:オナ猿たちの共通点?
アメリカでは、中間層から富裕層にかけて、子供や学生のうちに歯科矯正をする割合が非常に高い。
歯の綺麗さが「出世に繋がる」という考えがあるようで、親が子供に矯正を受けさせることが多いようだ。
そういえば、アメリカで出会った人たちは、歯並びが綺麗な人が多かったなと思い出す。
そもそもアメリカに長く住んでおきながら、見ようとしなかった真実。
もしオナ禁をしていなければ、僕はこれらのことの本質に全く気づかなかっただろう。
そして何よりも、自分もそうだったが、世の中には**「歯の汚いオナ猿」**が、なんて多いことか。
これでは、自分自身を心から敬うことなど無理だし、女性にモテるなんてことも、相当ハードルが高くなるだろうと痛感する。
オナ禁を続けると、少しずつではあるが、自分の内面だけでなく、外面も客観的に見つめられるようになる。
そして、それが「自己肯定感」へと繋がっていくのだ。
私はこれからも、自分自身を、そしてこの「神の社」を、もっともっと敬う努力を続けていこうと思う。