【第7回】結論が出る前に知事は失職した―

―百条委員会の途中で、なぜ不信任決議は可決されたのか

 

前回、百条委員会について調べた。

 

2024年6月13日。

兵庫県議会は、元西播磨県民局長・渡瀬康英氏の

告発文書をめぐる問題を調査するため、百条委員会を設置した。

 

証人を呼び、資料を集め、職員アンケートを行い、

斎藤元彦知事本人にも証言を求めた。

 

そこまでして調べるのだから、私は当然こう思っていた。

最後まで調べてから、結論を出すのだろう。

ところが違った。

百条委員会の最終報告書がまとまったのは、

2025年3月4日。

 

その約半年も前――

2024年9月19日。

兵庫県議会は斎藤元彦知事に対する不信任決議を、

全会一致で可決した。

 

県議会定数86。

全会派と無所属議員が共同提出し、全員が賛成した。 神戸新聞

 

私はここで、また一つ疑問を持った。

百条委員会は、まだ調査の途中ではなかったのか。


■ まず、不信任決議は何を意味するのか

これは単なる、

「知事に反省を求めます」

という意思表示ではない。

 

地方自治法上、知事に対する不信任決議が成立すると、

知事は議会を解散するか、辞職・失職することになる。

 

つまり県議会が知事に突きつける、

極めて重い政治判断である。

 

実際、斎藤知事はこの不信任決議を受け、

議会を解散しなかった。

 

そして9月30日付で失職する道を選ぶ。 神戸新聞

 

では県議会は、

何を根拠にそこまでの判断をしたのだろう。


■ 不信任決議までに百条委員会は何を調べていたのか

ここは時系列で見ると分かりやすい。

 

8月23日。

職員6人への証人尋問。

職員アンケートの中間報告。

 

8月30日。

職員4人と斎藤知事への証人尋問。

 

9月5日。

公益通報者保護や贈答品問題について、

職員らへの証人尋問と専門家への意見聴取。

 

9月6日。

斎藤知事、片山安孝元副知事らへの証人尋問。

 

つまり9月19日までに、

百条委員会が何も調べていなかったわけではない。

 

すでに相当な調査が行われていた。 兵庫県

ここは公平に見なければならない。


■ 職員アンケートでは多数の回答が集まっていた

百条委員会が行った職員アンケートには、

約9,700人を対象として6,664件の回答があった。

 

当時の中間集計では、

知事のパワハラについて「見た・聞いた」とする回答も多数あった。

 

ただし、ここにも注意が必要である。

「直接体験した」

「直接見た」

「人から聞いた」

「うわさとして聞いた」

では証拠としての意味が違う。

 

アンケートで多数の回答があったことと、

そのすべてが事実として認定されたことも同じではない。

 

一方で、

多数の職員から何らかの訴えや情報が寄せられていたこと自体も軽視できない。

 

だからこそ百条委員会は、

アンケートだけで結論を出さず、

実際に職員や知事らを証人として呼んでいたのである。 兵庫県


■ では、不信任決議文には何と書いてあったのか

ここが一番重要だと思う。

 

私は兵庫県議会が公表している、

「齋藤元彦兵庫県知事に対する不信任決議」

を読んでみた。

 

決議文では、百条委員会の調査によって、

告発文書には真実が存在し、

文書全体を「嘘八百」と片付けられるものではないこと、

告発者探しなど県側の対応に問題があったこと、

公益通報者保護について専門家から厳しい指摘が

あったことなどを理由として挙げている。

 

さらに、

県政の混乱、

職員との信頼関係、

知事の説明や対応、

政治的・道義的責任なども問題視した。 兵庫県

 

つまり、

「パワハラが完全に立証されたから不信任」

という単純な決議ではない。

 

県議会は、

それまでに明らかになった事実、

県の告発者への対応、

知事の説明姿勢、

県政の混乱などを総合して、

「もう県政を任せられない」

という政治判断をしたのである。


■ 「最終報告前だから不信任できない」わけではない

ここも整理しておきたい。

百条委員会の最終報告が出ていない以上、

不信任決議をしてはいけない――

という法律上の決まりがあるわけではない。

 

不信任決議は裁判の判決ではない。

県議会による政治的判断である。

 

したがって、

県議会がその時点までの調査結果や県政の状況から、

「知事を信任できない」

と判断すること自体は制度上可能である。

 

だから、

「最終報告前だった=不信任決議が違法だった」

とは言えない。

 

私はそこを問題にしたいわけではない。

私が引っ掛かったのは、別のところである。


■ では、なぜ百条委員会を最後まで待たなかったのか

百条委員会は、

事実関係を詳しく調べるために設置された。

 

その百条委員会は、

9月19日にも終わっていない。

 

公益通報の問題も調査途中。

贈答品問題も調査途中。

パワハラ問題も調査途中。

 

前回取り上げた公用PCの問題などは、

この後の10月25日の証人尋問でさらに議論されることになる。

 

つまり、まだ調べることが残っていた。

 

実際、兵庫県議会の公式ページを見ると、

百条委員会は不信任決議後も、

10月、11月、12月、

さらに2025年1月、2月まで審議を続けている。

 

そして最終報告書は、

2025年3月4日になってようやくまとめられた。 兵庫県

 

だったら、

私はどうしても思ってしまう。

あと半年調べる必要があった問題について、

なぜ9月の時点で知事を失職に向かわせる判断までできたのだろう。


■ 県議会側にも理由はあった

もちろん県議会側にも事情がある。

当時の県政は大きく混乱していた。

職員との信頼関係も問題視されていた。

 

県議会各会派は、

「この状態を続けること自体が県民にとって不利益になる」

と判断していた。

 

自民党は、県民や職員との信頼回復は到底見込めず、

これ以上知事が県政を担い続けることは不可能だと主張。

 

維新、公明、ひょうご県民連合、共産党なども、

それぞれの立場から不信任に賛成した。 神戸新聞

 

そして9月12日には、

各会派から斎藤知事に対する辞職要求も行われていた。 兵庫県

それでも斎藤知事は辞職しなかった。

だから県議会は、

より強い手段である不信任決議へ進んだ。

この流れ自体は理解できる。


■ 斎藤知事は何と言っていたのか

一方の斎藤知事は、

不信任決議の動きが強まっていた9月4日の記者会見で、

百条委員会や第三者機関による調査がこれから本格化する以上、

まず事実関係をしっかり調査することが重要だという立場を示していた。 兵庫県

 

要するに、県議会側は、

「すでに政治的判断を下すだけの材料はそろった」

と考えた。

 

斎藤知事側は、

「まだ調査の途中である」

と考えた。

 

ここに大きな認識の差があったことになる。


■ そして86人全員が同じ結論を出した

それにしても、

私が驚くのはここである。

賛成多数ではない。

全会一致。

県議会の全会派と無所属議員、

86人全員が不信任決議案を共同提出し、賛成した。 神戸新聞

 

普通、政治の世界では意見が割れる。

政党も違う。

政策も違う。

知事との距離も違う。

 

それでもこの時は、

全員が同じ判断をした。

 

これは、

それだけ県議会が当時の状況を深刻に受け止めていた、

と見ることができる。

 

一方で、だからこそ私は、

その時点で何が「確定した事実」で、

何が「まだ調査中」だったのかを、

より丁寧に確認したくなる。

 

全員一致だから正しい。

全員一致だから間違っている。

どちらでもない。

全会一致という事実そのものが、

検証する価値のある出来事なのだと思う。


■ そして9月19日、不信任決議は可決された

2024年9月19日。

兵庫県議会は不信任決議を全会一致で可決。

 

兵庫県政史上、知事に対する不信任決議の可決は初めてだった。 神戸新聞

 

斎藤知事には選択肢があった。

議会を解散する。

自ら辞職する。

あるいは解散せず、期限を迎えて失職する。

 

斎藤知事が選んだのは、

失職だった。

 

9月26日、

「議会解散は最初からなかった」

と説明し、

9月30日付で失職したうえで、

出直し知事選挙へ立候補すると表明する。 神戸新聞

 

理由は単純だった。

県民に直接判断してもらう。

そういう選択だった。


■ 県議会の判断と、県民の判断

ここから話は、

さらに不思議な方向へ進む。

 

2024年11月17日。

兵庫県知事選挙。

 

候補者は過去最多の7人。

斎藤元彦氏。

前尼崎市長の稲村和美氏。

前参議院議員の清水貴之氏。

そして――

立花孝志氏。

 

結果は、

斎藤元彦 1,113,911票

稲村和美 976,637票

清水貴之 258,388票

斎藤氏が再選した。

投票率は55.65%だった。 兵庫県

 

わずか2か月前、県議会議員86人全員から、

「知事として信任できない」

という判断を突きつけられた人物が、

 

今度は県民による選挙で、

111万票を獲得して再び知事になった。


■ これは県議会が間違っていたという意味なのか

ここも慎重に考えたい。

 

斎藤氏が再選したから、

「不信任決議は間違いだった」

と自動的に決まるわけではない。

 

逆も同じだ。

県議会が全会一致で不信任を可決したから、

「斎藤氏の主張はすべて間違っていた」

ということにもならない。

 

議会と選挙では、

判断する主体も違う。

判断材料も違う。

判断する時期も違う。

 

そして何より、

選挙では政策や人物評価など、

告発文書問題以外の要素も含めて有権者が一票を投じる。

 

実際、斎藤氏の得票率は有効票の約45.2%だった。

 

111万票という大きな支持を得た一方、

有権者全員が斎藤氏の説明を支持したわけでもない。 神戸新聞

ここも数字は冷静に見たい。


■ それでも「ねじれ」は残った

ただし、

政治的には極めて珍しい構図が生まれた。

県議会 86対0で不信任。

その約2か月後、

県民の選挙で斎藤氏が再選。

県議会と県民が、

全く同じ問題について単純に正反対の判定をした、

とまでは言えない。

 

しかし少なくとも、

県議会の政治判断だけでは、この問題は終わらなかった。

それは確かだと思う。

 

では、

この約2か月の間に、

何が起きたのだろう。


■ テレビだけではない選挙が始まった

ここで再び、

この連載の最初のテーマにつながってくる。

 

第1回で書いた。

昔、私たちはテレビの時間に合わせて生きていた。

 

テレビで流れる情報は、

社会全体に非常に大きな影響を持っていた。

 

しかし2024年の兵庫県知事選挙では、

テレビや新聞だけではない情報空間が生まれていた。

YouTube。

X。

SNS。

街頭演説の動画。

切り抜き動画。

そして、

立花孝志氏。

 

第4回で書いたように、

立花氏は自分自身の当選を主目的としないという異例の立候補を表明し、

斎藤氏に関する情報を発信していった。

 

そこで、

既存メディアで伝えられていた情報とは違う情報が、

大量に県民へ届くようになる。

 

もちろん、

SNSで流れた情報がすべて正しかったわけではない。

 

後に誤りだったと指摘された情報もある。

 

逆に、既存メディアの報道についても、

その伝え方は適切だったのかという議論が起きた。

 

つまりこの選挙は、

単なる知事選挙ではなく、

「何を信じるのか」

をめぐる選挙にもなっていった。


■ 私はここで、NHKの話を思い出した

この連載は、NHKから始まった。

テレビという巨大なメディア。

 

情報を届ける側と、

受け取る側。

昭和の時代、

情報の入口は限られていた。

 

しかし今は違う。

テレビが、「こういう問題です」と伝える。

新聞が、「こういう問題です」と伝える。

 

SNSでは、「いや、違う情報もある」

という声が流れる。

 

YouTubeでは、

一次資料そのものを何時間でも見ることができる。

 

百条委員会の映像も、記者会見も、街頭演説も、

一般の人が直接確認できる。

 

情報の主導権が、メディアだけにある時代ではなくなった。

 

そして兵庫県知事選挙は、

その変化が一気に表面化した選挙だったのかもしれない。


■ ただし、ここで一つ問題が起きる

テレビや新聞だけを信じる必要がなくなった。

これは大きな変化だと思う。

 

しかし、SNSなら正しい、

という話でもない。

 

むしろ情報源が増えたことで、

今度は私たち自身が、

何が事実なのかを確認しなければならなくなった。

 

そして兵庫県問題では、

この後さらに深刻な出来事が起きる。

 

百条委員会の委員だった、

竹内英明元県議。

 

斎藤氏が再選した翌日の、

2024年11月18日。

竹内氏は突然、

県議を辞職する。

 

そして約2か月後――

2025年1月18日。

竹内氏は亡くなった。

 

その翌日、

立花孝志氏が竹内氏について、

「逮捕される予定だった」

という趣旨の情報を発信する。

 

さらにその翌日。

兵庫県警本部長が、

異例とも言える形で、

その情報を否定する。

 

一体、

誰が何を知っていたのか。

 

情報は、どこから流れていたのか。

 

ここから兵庫県問題は、

県政だけではなく、

メディア、SNS、警察、

そして情報源の問題へと広がっていく。

 

次回は、

この出来事を時系列で追ってみたい。

 

 


次回
【第8回】竹内元県議の死と「逮捕予定」情報――誰が何を知り、情報はどこから流れたのか