【第4回】NHKに反旗を翻した立花孝志―
―なぜ「NHKをぶっ壊す」は生まれたのか
ここまで3回にわたって、NHKについて調べてきた。
テレビというメディアの変化。
76年前に作られた受信契約制度。
年間約5900億円の受信料収入。
約1万人規模の職員。
関連団体との巨額の契約。
そして私は、
「令和の時代に、公共放送は本当に現在の規模で必要なのだろうか」
という疑問を持つようになった。
そんなNHKについて調べていると、どうしても避けて通れない人物が出てくる。
立花孝志。
「NHKをぶっ壊す!」
という言葉で、一躍全国に知られるようになった人物である。
正直に言えば、私も以前は、
「NHKに文句を言っている変わった政治家」
くらいの認識だった。
しかし今回、改めて経歴を追ってみると、少し印象が違った。
この人物は、外から突然NHKを批判し始めた人ではない。
もともとは、
19年間NHKの中にいた人間だったのである。
■ 1986年、NHKに入局
立花孝志氏は1967年生まれ。
高校卒業後の1986年、NHKに入局した。
最初の配属は和歌山放送局。
その後、大阪放送局の経理部などを経て、
1998年には東京のNHK本部、報道局スポーツ報道センターへ
異動している。
つまり、
「少しNHKに勤めて辞めた」
という経歴ではない。
約19年間。
人生のかなりの部分をNHK職員として過ごしている。
しかも経理関係の仕事を長く経験していた。
これは、後の活動を考えると非常に重要な経歴だと思う。
なぜなら立花氏が後に批判することになるのは、
単に、
「NHKの番組が気に入らない」
という話ではなかったからである。
■ 2005年、週刊文春で内部告発
大きな転機が訪れたのは2005年。
立花氏は「週刊文春」で、NHK内部の不正経理について
実名・顔出しで内部告発した。
そして同年7月、NHKを依願退職する。
ここについては注意が必要だ。
立花氏自身は後年、
内部告発後に周囲との関係が変化し、実質的に辞めざるを
得なくなったという趣旨の説明をしている。
一方、公式な経歴上はあくまで「依願退職」である。
したがって、
「内部告発したためNHKから解雇された」
と断定するのは正確ではない。
ただ、
2005年に内部告発を行い、その数か月後に19年間勤めたNHKを退職した。
ここまでは確認できる事実である。
そしてここから、
立花孝志という人物とNHKとの長い対立が始まる。
■ 最初から政治家だったわけではない
退職後、立花氏はフリージャーナリストとして活動する。
その後インターネットを使った情報発信を始め、
2011年には「立花孝志ひとり放送局」を開始。
翌年には会社を設立する。
今でこそ政治家がYouTubeやSNSで直接情報を
発信することは珍しくない。
しかし当時はまだ、
テレビや新聞を通さず、自分自身が放送局になる
という発想は現在ほど一般的ではなかった。
NHKという巨大な放送局に対して、
インターネットという新しいメディアを使って一人で発信する。
ここでも、第1回で書いた、
「情報を発信する側と受け取る側の関係が変わった」
という話につながってくる。
■ そして「NHKから国民を守る党」が生まれる
2013年。
立花氏は政治団体を立ち上げる。
後の、「NHKから国民を守る党」である。
主張の中心は非常に分かりやすかった。
NHKを見ない人まで受信料を負担する現在の制度を見直し、
契約者だけがNHKを視聴できる、
いわゆる、「スクランブル放送」を実現する。
つまり、
「NHKを完全になくせ」というより、
「見たい人が契約し、見ない人は契約しなくていい仕組みにする」
という考え方だった。
これは第2回で私が感じた疑問と、かなり近い。
Netflixを見る人がNetflixと契約する。
NHKを見る人がNHKと契約する。
ただそれだけのことではないのか。
しかし現在の放送法では、そうなっていない。
立花氏は、その仕組み自体を政治によって変えようとした。
■ 最初はほとんど相手にされなかった
もちろん、最初から順調だったわけではない。
地方選挙に出ても落選する。
大政党のような組織もない。
資金力もない。
テレビで大きく取り上げられるわけでもない。
ところが2015年。
千葉県船橋市議会議員選挙で初当選する。
得票数は約2623票。
全国的に見れば小さな数字である。
しかしここから立花氏は、選挙という制度そのものを
かなり研究するようになる。
どの選挙なら何票あれば当選できるのか。
供託金はいくら必要なのか。
政党として認められるには何%の票が必要なのか。
そしてテレビよりもYouTubeやSNSを使って直接有権者へ情報を届ける。
政治家としては、かなり異質な方法だった。
■ 「NHKをぶっ壊す!」
2016年。
立花氏は東京都知事選挙に立候補する。
もちろん当選には至らなかった。
しかし、ここで大きな武器を手にする。
政見放送である。
選挙に立候補すれば、一定の条件のもとで政見放送を
通じて自分の主張を有権者に伝えることができる。
そして皮肉なことに、
NHKを批判する立花氏の主張が、
NHK自身の電波を使って全国へ流れる。
そこで繰り返された言葉が、
「NHKをぶっ壊す!」
だった。
政策を細かく説明するより、圧倒的に分かりやすい。
賛成する人もいる。
嫌悪感を持つ人もいる。
しかし、
一度聞いたら忘れにくい。
この言葉によって、立花孝志という名前は徐々に全国へ広がっていった。
■ そして本当に国政政党になった
2019年7月。
参議院議員選挙。
「NHKから国民を守る党」は
比例代表で約98万8000票を獲得し、1議席を得る。
立花氏自身が参議院議員に当選した。
さらに同党は全国の選挙区で得票率2%を超え、
法律上の政党要件を満たした。
それまで、「泡沫候補」「変わった人」
くらいに見られていた人物が、
本当に国会議員になってしまったのである。
私は今回改めて調べてみて、ここがかなり興味深かった。
立花氏は偶然当選したわけではない。
本人は以前から「2%」という政党要件を意識し、
全国に候補者を擁立する戦略を取っていた。
良い悪いは別として、
選挙制度をかなり計算していた人物だった
ことは間違いない。
■ ただし、ここから評価は大きく分かれる
ここまで書くと、
立花氏を持ち上げているように感じる人もいるかもしれない。
しかし、この人物を調べるうえで、
もう一方の側面を無視することもできない。
過激な言葉。
YouTubeやSNSを利用した個人への攻撃的な発信。
選挙制度を利用した独特の政治活動。
訴訟。
党内対立。
そして後には刑事事件にも発展していく。
立花氏の政治手法については、現在まで強い批判がある。
私自身も、
立花孝志という人物の言動すべてを肯定するつもりはまったくない。
むしろ今回の連載では、
「立花氏が言ったから正しい」
とも、
「立花氏だから全部間違っている」
とも考えないことにした。
発言の中身を一つずつ確認する。
事実なら事実。
間違っていれば間違い。
分からないものは、
「分からない」
として残す。
それでいいと思う。
■ なぜNHK問題は一定の支持を得たのか
それでも一つ疑問が残る。
なぜ、「NHKの受信料」
という一つの問題だけを掲げた政治団体が、
国会議員まで誕生させることができたのだろう。
そこには、
立花氏個人のキャラクターだけでは説明できないものがあるのではないか。
訪問による受信契約。
テレビを持っているだけで契約対象になる制度。
見ていなくても受信料が発生する仕組み。
裁判による請求。
第1回から第3回まで調べてきた制度に、
以前から違和感を持っていた人たちが一定数存在した。
そこへ、
「スクランブル放送にすればいい」
という非常に単純な答えを提示した人物が現れた。
だからこそ、
約99万票もの票が集まったのではないだろうか。
少なくとも、
「立花孝志という特殊な人物が突然現れただけ」
では、この現象を十分には説明できないように思う。
その背景には、
NHKという制度に対して蓄積していた不満があったのではないか。
■ ここまではNHKの話だった
ここまでなら、
この連載は単なる「NHK問題」の話で終わっていたはずである。
私も最初はそのつもりだった。
公共放送とは何なのか。
受信料制度は現在も必要なのか。
NHKはもっと小さくできないのか。
その答えを探していただけだった。
ところが、
立花孝志という人物のその後を追っていくと、
突然、まったく違う場所の名前が出てくる。
兵庫県。2024年。
兵庫県では、斎藤元彦知事をめぐって大きな騒動が起きていた。
発端となったのは、
兵庫県の元西播磨県民局長、
渡瀬康英氏が作成した告発文書だった。
やがて県議会には百条委員会が設置され、
知事のパワハラ疑惑や贈答品をめぐる疑惑、
告発文書への県の対応などが調査されることになる。
そして2024年9月。
兵庫県議会は斎藤知事への不信任決議を全会一致で可決。
斎藤知事は失職する。
その後に行われることになった兵庫県知事選挙。
そこへ、
なぜか――
立花孝志が立候補する。
しかも立花氏は、立候補表明の段階から、
「当選は考えていない」
と明言していた。
そして、
斎藤氏にプラスになるような選挙運動をしたい、
と公言する。
自分が当選するためではなく、
別の候補者を支援するために知事選へ立候補する。
異例の選挙だった。
NHKの受信料問題を追っていたはずなのに、
気が付けば私は、兵庫県政の問題を調べ始めることになった。
そしてここから、
この連載の景色は大きく変わっていく。
告発文書。
懲戒処分。
百条委員会。
パワハラ。
公益通報。
情報漏洩。
SNS。
県議の辞職。
そして人の死。
さらにその先には、
逮捕と長期勾留まで待っている。
ただし、
ここで結論を急いではいけない。
まず確認しなければならない。
そもそも兵庫県で、最初に何が起きたのか。
すべての始まりとされる告発文書には、
何が書かれていたのか。
そして、
その文書を書いた渡瀬康英氏に対して、
兵庫県はなぜ懲戒処分を行ったのか。
次回から、
一つずつ時系列で追ってみたい。
次回
【第5回】すべては一通の告発文書から始まった――渡瀬県民局長と兵庫県政
