全12回程度で考えていく連載、
「AIが全部やってくれたら、人間は何をする?」
今回は第8回です。
前回は、「実は仕事って、最高の暇つぶしだったのでは?」
という話をしました。
30歳くらいの頃、仕事を辞めてしばらく何もしなかったとき、
最初は自由で最高だった。
ところが3か月くらいすると、
とにかく暇でしょうがない。
しかも一日が長い。
その経験から、
仕事というものは、お金を稼ぐためだけではなく、
時間を区切ったり、
人と関わったり、
問題を解決したり、
達成感を感じたり、
人生にメリハリを作る役割もあるのではないか。
そんなことを考えました。
そして最後に、もう一つ疑問が出てきました。
何でもAIがやってくれる世界って、本当に楽しいのでしょうか?
今、私はAIで遊ぶのがものすごく楽しい
最近の私は、
ChatGPTと話をしたり、
Sunoで曲を作ったり、
Vrewで動画を作ったりしています。
これが本当に面白い。
例えば曲を作るとき。
まず歌詞を考える。
Sunoに入れて曲を作ってみる。
聴いてみる。
「おお!いいじゃん!」
となることもあれば、
「いや、そこじゃないんだよな……」
となることもある(笑)。
歌い方が違う。
曲が長すぎる。
サビが弱い。
歌詞の読み方がおかしい。
じゃあ、もう一回。
設定を変える。
歌詞を直す。
また作る。
そして何回かやっているうちに、
「これだ!」
というものができる。
この瞬間が楽しいんですよね。
動画作りも同じ
Vrewで動画を作っていても、
最初から思い通りになるわけではありません。
写真を並べる。
動きをつける。
曲に合わせる。
「ここはもう少し長い方がいいな」
「この切り替えは変だな」
「ここでサビに入った方がいいな」
と直していく。
画像を作っても、
「窓が増えてるじゃん!」
なんてこともある(笑)。
また直す。
そして最後に、
曲と映像がうまく合ったとき、
「おお、できた!」
となる。
考えてみると、
完成した動画を見ることだけが楽しいわけではありません。
むしろ、
完成するまでの過程そのものを楽しんでいる
のだと思います。
では、AIが完璧になったら?
ここで未来を想像してみます。
AIが今よりはるかに進歩した。
こちらの好みも完全に理解している。
そこで、
「3分くらいの、ちょっと切ないけど最後は前向きになる曲を作って」
と言う。
3秒後。
完璧な曲が完成。
歌詞も100点。
メロディーも100点。
歌声も自分の好みに完全一致。
さらに、
「この曲のPVも作って」
と言う。
また3秒後。
映画監督が作ったような完璧な映像が完成。
修正するところがない。
全部一発で100点。
……。
すごいですよね。
間違いなく、ものすごい技術です。
でも、それって楽しいのでしょうか?
「できない」があるから面白い?
ゲームを考えると分かりやすいかもしれません。
ゲームを始めた瞬間に、
ボタンを一つ押したらラスボスを倒して、
最高得点になって、
すべてのアイテムがそろって、
エンディングまで見られる。
たぶん、面白くないですよね(笑)。
ゲームは、うまくいかない。
負ける。考える。
練習する。少し上手になる。
また失敗する。
そしてようやくクリアする。
だから面白い。
登山だって、
山頂まで一瞬でワープできたら、
山頂からの景色を見ることはできます。
でも、
登った人が感じる達成感とは、
少し違うはずです。
人間は「結果」だけが欲しいわけではない
私たちは普段、効率を求めます。
早く終わらせたい。
失敗したくない。
面倒なことはしたくない。
だからAIは便利です。
でも趣味になると、
なぜか逆のことをします。
魚が欲しいならスーパーで買えばいいのに、
何時間も釣りをする。
パンが欲しいなら買えばいいのに、
自分で焼く。
車ならすぐ着くのに、
わざわざ自転車で遠くまで行く。
山頂の景色なら写真で見られるのに、
何時間もかけて山に登る。
AIに頼めば曲が作れる時代になっても、
自分でギターを弾く人はいなくならないでしょう。
なぜか。
たぶん人間は、
結果だけではなく、そこへ行くまでの体験も欲しい
からなのだと思います。
「面倒」は全部悪いものではないのかもしれない
ここまでの人類は、
面倒なことを減らすために進歩してきました。
それ自体は素晴らしいことです。
命に関わる危険な仕事。
体を壊すような重労働。
意味のない単純作業。
そういうものをAIやロボットが代わりにやってくれるなら、
私は歓迎したいと思います。
でも、
面倒なことを全部なくせば幸せになる
とは限らないのかもしれません。
ちょっと難しい。
ちょっとうまくいかない。
ちょっと工夫しなければならない。
そして、
やっとできる。
もしかすると、
この「ちょっと面倒」くらいのところに、人間の楽しさがある
のではないでしょうか。
AIは「全部やってくれる存在」でなくてもいい?
ここで、AIとの付き合い方についても少し考えました。
AIに、「全部やって」と頼むこともできます。
でも、「一緒に考えて」という使い方もできます。
これは結構違います。
例えばこのブログも、AIに、
「AIについてブログを書いて」
とだけ言えば、文章は作れるでしょう。
でも私は、
「こんなことを考えた」
「じゃあ、こうなったらどうなる?」
「それなら、これは?」
と話を続けています。
AIから返ってきた話を見て、
また自分が考える。
そして次の疑問が出てくる。
そうやってこの連載も続いています。
つまり今のところ私は、
AIに全部やってもらっているというより、
AIと一緒に遊んでいる
感覚に近いのかもしれません。
将来、人間はわざとAIを使わなくなる?
ここまで考えると、
ちょっと面白い未来も想像できます。
AIに頼めば何でも一瞬でできる時代。
それなのに人間は、
「今日はAIを使わずに料理してみよう」
「自分だけで絵を描いてみよう」
「自分で曲を作ってみよう」
と言い始める。
今でもキャンプへ行けば、
便利な家を離れて、
わざわざテントを張ります。
火を起こします。
外で料理します。
つまり、
便利になりすぎたから、不便を楽しむ。
そんなことが未来ではもっと増えるのかもしれません。
「AI禁止」が遊びになる日
もしかすると将来、
こんなゲームが流行るかもしれません。
「今日は一日、AI禁止」(笑)
自分で道を調べる。
自分で料理する。
自分で文章を書く。
自分で予定を考える。
分からないことがあっても、すぐAIには聞かない。
今の私たちからすれば普通の生活ですが、
未来の人からすると、
それがキャンプのような特別な体験になるのかもしれません。
そう考えると、ちょっと面白いですよね。
でも、これから生まれる子どもたちは?
そしてここで、
また新しい疑問が出てきます。
私たちは、
AIがなかった時代を知っています。
スマートフォンがなかった時代も知っています。
インターネットがなかった頃も覚えています。
だから、
「昔は大変だった」
「便利になったな」
と比較できます。
でも、
これから生まれてくる子どもたちはどうでしょう。
生まれたときからAIがいる。
分からないことを聞けば、すぐ答えてくれる。
欲しいものを言えば、作ってくれる。
移動も生活もほとんど自動。
そんな世界しか知らなければ、
その子たちは、「便利になった」
とすら思わないはずです。
それが最初から、普通の世界なのですから。
そして、その子たちは、
私たちとはまったく違う「楽しい」を見つけるのでしょうか。
次回、第9回は、
「これから生まれる子どもは『便利になった』ことすら知らない」
について考えてみたいと思います。
私たちが「未来」と呼んでいる世界を、
最初から「日常」として生きる人たち。
その人たちは、
何を面倒だと思い、
何を楽しいと思い、
何を夢見るのでしょう。
【第9回へ続く】
