全12回程度で考えていく連載、

 

「AIが全部やってくれたら、人間は何をする?」

今回は第6回です。

 

前回は、

「AIが何でも知っているなら、勉強する意味はある?」

という話をしました。

 

AIがいつでも答えを教えてくれるようになれば、

知識をひたすら覚えることより、

「何を聞くのか」

「その答えは本当に正しいのか」

「自分はどう考えるのか」

ということの方が大切になるのではないか。

そんなことを考えました。

そして最後に、また一つ気になることが出てきました。

 

考えてみれば人間は、

ずっと同じことをしてきたのではないでしょうか。

 

それは、

「面倒なことを、できるだけ楽にする」

ということです。


歩くのが大変だから、乗り物を作った

昔、人間は歩いて移動していました。

でも遠くまで歩くのは大変です。

だから馬に乗った。

自転車を作った。

自動車を作った。

電車を作った。

飛行機まで作った。

 

今では東京から大阪まで歩こうと思う人は、普通はいません(笑)。

新幹線に乗ればいい。

もっと遠ければ飛行機に乗ればいい。

 

つまり人間は、

「歩く」という大変な作業を、技術によってどんどん減らしてきた

わけです。


遠くの人に会いに行くのも面倒だった

人と話すことも同じです。

昔なら遠くにいる人と話したければ、

実際に会いに行くしかありませんでした。

 

それが手紙になり、

電話になり、

携帯電話になり、

メールになり、

LINEになり、

今ではテレビ電話まで普通にできます。

 

30年くらい前を思い出すと、本当に不思議です。

待ち合わせをして相手が来なかったら、

連絡する方法がない。

駅の伝言板を使ったり、

公衆電話から相手の家に電話したり、

それでも分からなければ待つしかない。

 

今なら、「今どこ?」

とLINEを一本送れば終わりです。

 

わずか30年ほどで、あれだけ当たり前だった不便が、

「そんな時代、本当にあったの?」

というくらい変わってしまいました。


調べることも、とんでもなく楽になった

何か分からないことがあったときもそうです。

 

昔なら本屋へ行く。

図書館へ行く。

辞書を引く。

詳しい人に聞く。

 

それでも分からないことはたくさんありました。

インターネットが登場して、

Googleなどで検索できるようになった。

これだけでも革命的でした。

 

ところが今は、さらにAIがあります。

検索結果を何ページも読む必要すらない。

「これってどういうこと?」

と聞けば、

自分に分かるように説明してくれる。

 

難しければ、「もっと簡単に」と言えばいい。

 

それでも分からなければ、

「小学生でも分かるように」

と頼めばいい(笑)。

 

人間はついに、

「調べる」という面倒まで減らし始めた

のかもしれません。


そして今度は「考えること」まで楽にし始めた

ここがAI以前の技術と少し違うところだと思います。

 

洗濯機は洗濯を楽にしてくれました。

掃除機は掃除を楽にしてくれました。

自動車は移動を楽にしてくれました。

電卓は計算を楽にしてくれました。

 

でもAIは、

文章を考える。

アイデアを出す。

画像を作る。

曲を作る。

動画を作る。

資料をまとめる。

相談に乗る。

というところまで入ってきています。

 

つまり、

今まで人間の頭の中でやっていた作業まで、機械に手伝ってもらうようになった。

これはかなり大きな変化です。


私自身、すでにものすごく楽をしている

このブログだってそうです。

 

昔だったら、

テーマを考えて、

構成を考えて、

文章を書いて、

何度も読み直して、

タイトルを考えて……

かなり時間がかかったと思います。

 

今はChatGPTと話しながら、

「こんなことを考えたんだけど」と投げる。

 

すると、

「じゃあ、こういう話にもつながりますね」となる。

 

そこから、

「それ面白いね」

「じゃあ次はこれを考えてみよう」

と話がどんどん広がっていく。

 

最近はSunoで曲まで作り、

Vrewで動画まで作っています。

 

少し前の自分なら、

「曲を作る?」

「動画を作る?」

そんなの無理だよ。

と思っていたはずです。

 

でも今はAIの力を借りながら普通にやっています。

しかも、

これがものすごく面白い。


人類はずっと「楽をしたい」と思ってきた

こうして考えると、人類の技術の歴史って、

かなりの部分が、

「面倒くさい」

から始まっているのではないでしょうか。

 

歩くのが面倒。

運ぶのが面倒。

洗うのが面倒。

計算するのが面倒。

探すのが面倒。

覚えるのが面倒。

考えるのが面倒。

 

だから道具を作る。

機械を作る。

コンピューターを作る。

そしてAIを作る。

 

もちろん、

「もっと速く」

「もっと安全に」

「もっと正確に」

という目的もあります。

 

でも根っこの部分には、

「もっと楽にしたい」

という人間の欲求がずっとあったような気がします。


では「究極に楽な世界」は幸せなのか?

ここで少し変なことを考えてみます。

人類がずっと、「もっと楽に」を続けていったとします。

 

料理をしなくていい。

掃除をしなくていい。

運転しなくていい。

買い物に行かなくていい。

働かなくていい。

 

勉強しなくても必要なことはAIが教えてくれる。

 

文章もAI。

音楽もAI。

動画もAI。

旅行の計画もAI。

面倒な手続きもAI。

何か困ったらAIが全部解決してくれる。

 

朝起きた瞬間から寝るまで、

やらなければならないことが何もない。

これは、人類がずっと目指してきた夢の世界なのでしょうか。


でも、ちょっと待ってください

もし本当に、

何もしなくていい。

働かなくていい。

お金にも困らない。

家事もしなくていい。

面倒なことは全部AIがやってくれる。

 

そんな世界になったら、

最初の1週間くらいは最高かもしれません(笑)。

 

好きな時間に起きる。

好きなものを食べる。

映画を見る。

遊ぶ。

旅行する。

昼寝する。

 

でも、

それが1か月続いたら?

1年続いたら?

10年続いたら?

 

毎朝起きて、

「今日も別にやることはない」

となったら、人間は本当に幸せなのでしょうか。


実は「面倒なこと」が人生を作っている?

仕事は面倒です。

朝起きるのも面倒。

通勤も面倒。

人間関係も面倒。

 

失敗することもある。

思い通りにならないこともある。

 

でも仕事があるから、

月曜日がある。

金曜日がある。

休日がうれしい。

給料日がうれしい。

仕事が終わったあとのビールがおいしい(笑)。

 

何か面倒なことがあるから、

それが終わったときに、

「終わった!」

と思える。

 

もしかすると人間は、

面倒をなくすために技術を進歩させながら、

同時に、

人生のメリハリを作っている「面倒」まで消そうとしている

のかもしれません。


私には、ちょっと思い当たることがある

実は私は30歳くらいの頃、

仕事を辞めて、しばらく何もしなかった時期があります。

 

最初は、

「しばらくゆっくりしよう」

くらいに思っていました。

 

朝も自由。

会社へ行かなくていい。

誰にも指示されない。

時間は全部自分のもの。

 

今考えれば、

ある意味かなり贅沢な状態です。

 

ところが……

3か月くらい経った頃には、

暇でしょうがなかった。

 

そして妙に、一日が長い。

朝起きても、今日やらなければならないことがない。

明日もない。その次の日もない。

 

自由なはずなのに、

だんだんその自由を持て余すようになりました。

 

そのとき私は、

今でも覚えていることを思いました。

「仕事って、もしかして一番の暇つぶしなんじゃないか?」(笑)


人間が欲しかった「究極の楽」の先

人類は何千年もかけて、不便を減らしてきました。

 

そしてAIによって、

そのスピードは一気に上がるかもしれません。

 

もし本当に、

人間がやらなければならないことがほとんどなくなったら、

次に問題になるのは、「どうやって楽をするか」ではなく、

「余った人生をどう使うか」なのかもしれません。

 

これは今までの人類が、

ほとんど経験したことのない問題です。

 

次回、第7回は、

「実は仕事って、最高の暇つぶしだったのでは?」

について考えてみたいと思います。

 

お金のためだけではなく、

時間を区切る。

人と関わる。

目標を持つ。

失敗する。

悩む。

達成する。

そして休日を楽しみにする。

 

もしAIが仕事を全部やってしまったら、

人間が失うのは「給料」だけではないのかもしれません。

【第7回へ続く】