全12回程度で考えていく連載、

「AIが全部やってくれたら、人間は何をする?」

 

今回は第5回です。

前回は、

「AIが全部作るなら、お金そのものが要らなくない?」

という話をしました。

 

AIとロボットが食料を作る。

服を作る。

家を建てる。

そして自動で運ぶ。

 

もし生活に必要なものが十分に作られるようになれば、

「生きるために働いて、お金を稼ぐ」

という今まで当たり前だった仕組み自体が変わるかもしれません。

 

もちろん、土地や人気の場所のように数が限られているものは残るでしょう。

だから、お金が完全になくなるかどうかは分かりません。

 

でも少なくとも、

「生きるためにはお金が必要で、そのためには働かなければならない」

という関係は、今よりずっと弱くなる可能性があります。

 

そこで前回の最後に、また一つ疑問が出てきました。

働く必要がなくなったら、勉強する意味って何だろう?

 

今回はここを考えてみます。


子どもの頃、なぜ「勉強しなさい」と言われたのか

子どもの頃、

「ちゃんと勉強しなさい」

と言われた経験がある人は多いと思います。

 

私もそうでした。

では、なぜ勉強しなければならなかったのでしょう。

 

もちろん、

知識を身につけるため。

物事を考える力をつけるため。

世の中を理解するため。

いろいろな理由があります。

 

でも、かなり現実的な理由として、

「将来困らないため」

というものもあったと思います。

 

勉強する。

良い成績を取る。

学校へ進学する。

資格を取る。

会社に入る。

仕事を覚える。

そして給料をもらう。

 

つまり勉強は、

「将来、社会の中で働いて生きていくための準備」

という面をかなり持っていました。


でも、仕事をAIがやるなら?

では、AIが人間の仕事の多くをできるようになったらどうでしょう。

文章を書く。

翻訳する。

計算する。

プログラムを書く。

資料を作る。

画像を作る。

音楽を作る。

動画を作る。

法律や税金について調べる。

大量のデータを分析する。

 

今まで、

「専門知識を持った人間だからできる」

と思われていた仕事にも、すでにAIが入り始めています。

 

もちろん今のAIが何でも完璧にできるわけではありません。

間違えることもあります。

人間による確認が必要な場面もたくさんあります。

 

でも、これが10年、20年、30年と進歩したら?

 

今の子どもたちが大人になる頃、

「仕事をするために大量の知識を頭に覚えておく」

ということは、今ほど重要ではなくなっているかもしれません。


すでに私たちは「覚えなくなっている」

考えてみると、これはAIが登場する前から始まっていました。

 

昔は電話番号を何件も覚えていました。

今はほとんど覚えていません。

 

昔は車に分厚い道路地図を積んでいました。

今はカーナビやスマホが案内してくれます。

 

分からない漢字があれば辞書を引いた。

知らないことがあれば百科事典を調べた。

今はスマホで検索すれば数秒です。

 

そしてAIになると、

検索することすら減ってきます。

「これってどういうこと?」

と聞けば説明してくれる。

 

分からなければ、

「もっと簡単に説明して」

と言えばいい。

 

さらに、

「じゃあ、この場合は?」

と続けて聞ける。

 

考えてみれば、

人間はすでに少しずつ「記憶を外部に預けている」

んですよね。


私自身、最近それをものすごく感じる

最近の私は、ChatGPTを使ってブログを書いたり、

Sunoで曲を作ったり、

Vrewで動画を作ったりしています。

 

少し前までなら、

動画編集のやり方を本やネットで調べて、

操作方法を一つずつ覚えて、

分からなければまた検索して……

ということをしていたと思います。

 

ところが今は、

「これ、どうやるの?」

とAIに聞いてしまいます(笑)。

 

しかも、

ただ答えを教えてもらうだけではありません。

 

「こういうことをやりたいんだけど」と相談すると、

やり方そのものを一緒に考えてくれる。

 

私は最近、

何かを全部覚えてから始めるのではなく、やりながら必要なことをAIに聞く

ということが増えました。

 

これは結構大きな変化だと思います。


じゃあ学校で暗記する必要はなくなる?

ここまで考えると、

「じゃあ勉強なんてしなくていいじゃん」

となりそうです。

 

でも、たぶんそう単純ではありません。

例えばAIに、

「日本の人口について教えて」

と聞いたとします。

 

AIが数字を答える。

でも、その数字が正しいのか。

いつの数字なのか。

何と比較すればいいのか。

その数字から何が言えるのか。

これは、ある程度の知識がなければ判断できません。

 

AIが間違った答えを出しても、何も知らなければ、

間違っていることにすら気づけない。

 

ここは結構怖いところです。


「答えを覚える勉強」から「答えを考える勉強」へ

もしかするとAI時代に変わるのは、

勉強そのものではなく、勉強する内容

なのかもしれません。

 

今までは、

「この年号を覚えなさい」

「この公式を覚えなさい」

「この単語を覚えなさい」

という勉強がたくさんありました。

 

もちろん基礎知識は必要です。

 

でもAIがいつでも知識を取り出してくれるなら、

これからもっと重要になるのは、

 

何を聞くのか。

その答えは本当に正しいのか。

別の考え方はないのか。

自分はどう思うのか。

という部分なのではないでしょうか。


実は、このブログ自体がそうなのかもしれない

この連載もそうです。

私はAIについて研究している専門家ではありません。

未来学者でもありません。

経済学者でもありません。

 

ただ、

テレビで「AIで人類滅亡」という話を見て、

「でも、人類滅亡ってそういう意味だけなのかな?」

と思った。

 

そこから、

AIが全部働いたら?

↓

人間はどうやってお金をもらう?

↓

給料がなかったら誰が商品を買う?

↓

国がお金を配る?

↓

でも税金は誰が払う?

↓

そもそもAIが全部作るなら、お金って必要?

↓

じゃあ仕事がなくなったら、勉強する意味は?

と、どんどん疑問がつながってきました。

 

AIは、その疑問についていろいろな情報を出してくれます。

 

でも、

「次に何が気になるか」

は私の中から出てきます。

 

これって、もしかするとAI時代の「学ぶ」ということに近いのかもしれません。


答えを知っていることより、疑問を持つこと

もし将来、

AIがほとんどの質問に答えられるようになったら、

「物知りであること」の価値は今より下がるかもしれません。

 

でも、

「なぜ?」

と思うこと。

「本当にそうなの?」

と疑うこと。

「じゃあ、こうなったらどうなる?」

と想像すること。

 

これは人間の側に残ります。

むしろ答えが簡単に手に入る時代だからこそ、

良い疑問を持つことの方が大切になる

のかもしれません。


そして、もう一つ気になることがある

ここまで考えていて、

ふと思いました。

 

人間はずっと、

「もっと便利にしたい」

「もっと早くしたい」

「もっと楽にしたい」

と思って技術を進歩させてきました。

 

歩くのが大変だから乗り物を作った。

遠くの人と話せないから電話を作った。

調べるのが大変だからインターネットを作った。

 

そして今、

考えることまでAIが手伝ってくれるようになった。

 

つまり人類の歴史って、

見方を変えれば、

ずっと「面倒なことを減らしてきた歴史」

なのかもしれません。

 

でも……

面倒なことを全部なくした先には、

一体何が残るのでしょう。

 

もしかすると私たちは、

とんでもなく便利な世界を作ろうとしている一方で、

人間が今まで当たり前にやってきた、

「努力する」「覚える」「工夫する」

という行為まで減らそうとしているのかもしれません。

 

そして、それは本当に幸せなことなのでしょうか。

 

次回、第6回は、

「人類は『楽をするため』に進歩してきた」

について考えてみたいと思います。

 

歩くより自転車。

自転車より車。

手紙より電話。

電話よりスマホ。

検索よりAI。

 

人類が何千年も続けてきた、「もっと楽にしたい」

の先に何があるのか。少し考えてみたいと思います。

【第6回へ続く】