『母上!父上はどこに?探しても何処にも姿が見えません。今日は氷蚕の事を教えてくれる約束だったのに…』
『あら、炎輝…その辺にいない?さっきまであれやこれやと言っては目の届く場所に居たのだけど…』
『…もしかしてまたですか……』
『又って…』
『だって父上は氷蚕や氷蚕糸の話になると途端に口を噤む…千月の話もですよ当たり障りのない事だけで肝心な所を聞こうとするとするりと私をかわして…一体どうしたんですか』
『……』
炎輝は苛立ちを隠す事なく憤った。素直な感情表現は間違いなく春花から受け継がれた性質である。
『…お父様は氷蚕の事になるとやっぱり少し…嫌なのよ…』
『嫌?あの父上がですか?そんな…まさか』
『……』
秋月の生い立ちは想像を絶する孤独の上にあった。それを父を尊敬し憧れる息子に話す事は春花とて躊躇いもあった。
『氷蚕の事はなにも今日じゃなくても良いんじゃない?日を改めてはどう?』
『……父上はいつもそうだ…何だかんだ言って父上に聞きたい事があってもはぐらかす…千月教の前身星月の話だって結局は洞主だった葉顔さんに聞く事になった…ひょっとして父上にとってはまだ力不足だと思われているのではないですか?』
『……そんな筈はないわ、貴方の力は無限だっていつも喜んでる』
『もう良いです。母上はそうやってずっと【秋月哥哥】を庇えば良い。私はこれから氷蚕について千月洞にいる葉顔さんに聞いてくる事にします。』
『ちょ、ちょっと待って炎輝、今日のあなたは少し変よ?何があったの?昨日は鳳鳴山荘へ行ってたわよね?確か冷凝さん達の所に稽古に…そこで何かあったの?』
『……別に何もありませんよ。』
炎輝は拳を握り締めた
何もない。それは己に言い聞かせた言葉に過ぎなかった。些細な嫉妬心に心が歪むのを精一杯拒絶した。しかして内心は父に認められていない不安と常に炎輝は闘っていた。
それは、何気ない日常であった。いつもの様に鳳鳴山荘の武道場で汗を流していた。そこへ清流が焦った様子で駆け込んできた。話を聞けば前盟主の蕭白に山荘内部で起きた揉め事に関して今すぐにでも教えを請いたいという相談だった。しかし、現れた父秦流風が過去に山荘で起きた大小の事件とその時の解決策を添えて今回の事に沿った解決を提案した。
そして見事に即時解決した。何故か空虚な感情が芽生えた。
清流は白盟主、現秦掌門の2人の父に信頼厚い。しかして己はまだまだ未熟者であるように感じていた。何をしても行き過ぎてしまうのが短所だとは理解しながら如何ともできぬ。そこへ父秋月が約束を反故したとあっては益々、存在を軽視されていると疑心暗鬼に囚われてしまった。
目の前の母にそんな子供じみた嫉妬心の話をする気にもならなかった。
『そう…あ、そうだ。葉顔さんの所へ行くなら私も行くわ』
『え?母上が何をしに千月へ?まさか葉顔さんに氷蚕の話を聞くなんて言い出す訳じゃないですよね?』
『辞めてよ虫なんて興味ないわ!今丁度白が千月に滞在しているらしいのよ。今回は長く滞在するみたいだって功力の鍛錬に桃を迎えにきた蝶瑶さんが言ってたの…だからちょっと顔を出して来ようかと思って…ついでに桃を連れ帰れば蝶瑶さんを煩わせずに済むし…』
『………』
『良いでしょ?葉顔さんのお茶って美味しいのよ。それにそろそろ氷酒も切れるしね…あ、無理なら良いの場所は分かってるから自分で行けるわ』
春花は戸口に掛けてある籠を手に取ると出ていこうとする
『……はぁ、、分かりましたよ連れて行けばいいんでしょう?』
『あら、良いの?』
『しっかり捕まって下さいよ。父上みたいに大事に運んでやれませんからね。ガサツだから』
そう言うと春花を抱え走り出すと空を蹴り飛び上がる。その後を追う様に銀狼の雪月が風のように地上を駆けるのを目にした。
『あら、あの子…すっかりあなたをご主人と思ってるのねしっかりついてきてる』
『鳳鳴に行けば姉上にべったりですよ…』
『大丈夫よ』
『何がです?』
『みんなあなたを頼りにしてる』
『………だから嫌だったんだ』
『何?』
『母上は…母上は過信してますから……私はまだまだ未熟者です』
『………』
言葉とは矛盾してしっかりと母を抱え力強く飛行する炎輝は千月洞を目指した。
2へ続く